kolmas.tech note

雑記と思索、偏った技術の覚え書き

今更WebAssembly ー とりあえずHello world

WebAssemblyというものを知ったのは数年前である。仕事で扱ったとあるライブラリ1がCで実装されていて、そのJavaScript環境向けラッパーにおいて利用されていたのだ。今日日そんなものがあるのか、と感心したものだが、軽く調べてみたら2015年には発表されていたらしい。周回遅れである。 developer.mozilla.org ja.wikipedia.org

ブログ副題で「雑記と思索、偏った技術の覚え書き」を名乗っているくせに、更に言えば.techドメインなど使っているくせに、久しく技術ネタを書いていないので、たまにはそういう話題も扱いたい所。丁度良いネタである。n番煎じも良い所であろうが。

WebAssembly

WebAssemblyが何であるかは上掲のサイト等で既に解説されているので、今更私が新たに書くようなことはない。MDNの解説によればこうである。

WebAssembly は現代のウェブブラウザーで実行できるコードの一種です。ネイティブに近いパフォーマンスで動作する、コンパクトなバイナリー形式の低レベルなアセンブリー風言語です。さらに、 C/C++、C# や Rust などの言語のコンパイル先となり、それらの言語をウェブ上で実行することができます。 また、JavaScript と並べて実行するように設計されており、両方を一緒に動作させることができます。 --MDN WebAssembly

要は、C等の一般にウェブブラウザ上で動作させる事が想定されない言語によるプログラムであっても、WebAssemblyにコンパイルしてやればウェブブラウザ上で実行可能になるのである。クロスコンパイルという言葉も昔からある訳で、道理ではある。一方で、ウェブにおける一昔前のクライアントサイド開発の世界から見たら、すごい事になっているな、という感想も持つ。今日日、幅広なブラウザがWebAssemblyの処理系を持っているようである。 caniuse.com

C等のソースコードをWebAssemblyのバイナリにコンパイルするクロスコンパイラには、Emscriptenというものを使うのが主流であるようだ。 emscripten.org

EmscriptenでHello worldする

初めて扱うプログラミング環境においては、何はともあれまず最初にHello worldせねばなるまい。以下のCによるソースコードを準備する。Cのソースコードとしては、極めて標準的なHello worldである。

#include <stdio.h>

int main(){
    printf("Hello world!\n");
    return 0;
}

これをEmscriptenを使ってコンパイルする。以下のようにコマンド実行する。尚、本エントリにおける検証環境はDebianであり、Emscriptenはaptで導入。%はプロンプト。

% emcc hello.c -o hello.html

これだけ見ると、emccコマンドの「なり」はgccに似ている。ソースコードを保存したファイルを引数に取り、-oオプションで出力先を指定する。ここに.htmlで終わるファイル名を指定すると、WebAssemblyのバイナリに加えてそれを呼び出すJavaScriptプログラム、また上記ファイル名のHTMLが出力される。上記例であれば、以下のようである。

% ls -l hello.*
-rw-r--r-- 1 kolmas kolmas    72  5月  6 13:57 hello.c
-rw-r--r-- 1 kolmas kolmas 22038  5月  6 13:58 hello.html
-rw-r--r-- 1 kolmas kolmas 55140  5月  6 13:58 hello.js
-rwxr-xr-x 1 kolmas kolmas 14508  5月  6 13:58 hello.wasm

WebAssemblyのバイナリである.wasmファイルはCORS2ポリシの適用対象であるため、ローカルに配置してアクセス3しても動作しない。適当に用意したウェブサーバに上記で出力されたファイルを公開して、それを介して件のHTMLにアクセスすると以下を得る。

コンソール風の見た目の画面にHello world!表示。

ウェブページ上に作られたコンソール風画面に、先程Cで作成したプログラムが標準出力に対して出力している「Hello world!」が表示されている。

続・Cの関数をJavaScriptから呼ぶ

単にC言語で書かれたプログラムを実行する事は上記のように出来たが、私がWebAssemblyの事を知ったきっかけは冒頭で述べた通り、Cで実装されたライブラリをウェブ環境上に移植したものを見た事である。そのような場面では、Cのプログラムで定義されている関数を任意のタイミングでJavaScriptから呼び出さなければならない。これについては次エントリにまとめることにする。

余談 ー MDN

この手のことを調べたり勉強したりするのにあたっては、MDN Web Docsの資料は極めて役に立つ。 developer.mozilla.org MDN=Mozilla Developer Networkの事だと思っていたが、今はその頭文字であるという意味は持たないらしい。 ja.wikipedia.org


  1. コレ。github.com
  2. オリジン間リソース共有。
  3. 即ちfile:始まりのURLによるアクセス。

スルメとサラミ

スルメとサラミ、どちらも長男・次男の好物である。特に長男の療育帰り、車を運転しつつ、止まるたびに後席に座っている長男に一つずつ渡して食べさせてやっている。塩分の多さに思うところはあるが、ご褒美的な位置付けである。療育施設近隣にイトーヨーカ堂があって、いつも療育に長男を預けている裏で買い出しをしている。そこでこれら長男のご褒美も買っている。長男の言うスルメは、その商品名としては「あたりめ」である。 www.sej.co.jp 似たようなものとして、伍魚福の「一夜干焼いか」もよく食べる。これは長男のネーミングによれば「イカ」。 www.gogyofuku.co.jp サラミは以下等。これに関しては長男も「サラミ」と呼ぶ。 www.natori.co.jp 酒を飲むわけでもないくせに、酒のつまみ的な食べ物が好きなのだ。1

尚、以降の本エントリの表記は、長男の表現で言うところの「スルメ」「イカ」「サラミ」の定義に従う。

サラミをスルメと間違える

スルメやイカは大分以前から食べていたが、サラミを導入したのは最近である。ご褒美おやつの最初期はスルメであって、その後イカも食べる事が分かってからはイカばかりにしていた2。ところがある日、たまたまスルメもイカも売り切れていて、療育帰り長男のご褒美おやつ用に初めてサラミを買ってみた。その時点では、サラミ自体は他の機会で何度か食べさせた事があり、長男が好む事も分かっていたが、療育帰りでは初めてである。

長男を車に乗せた後、まず「今日はイカが無かったんだ」と言い、次いで「代わりにサラミがあるぞ」と言ってサラミを見せてみた。そうしたら「サラミ食べます」「サラミください」と言ってきたので一安心し、とりあえず一本渡してから療育施設を出発した。普段から、帰宅中にご褒美おやつを渡すタイミングは、信号等の理由で車が止まっている時、かつ長男が要求してきた時だけにしている。動いている最中に渡すのは危険運転に片足突っ込んでいるし、また、単にこちらから渡すのではなく長男から要求を発させたいのである。このルールは長男も理解しているようで、車が止まるたびに「〇〇食べます」とか「〇〇ください」などと言ってくる。3

さて件のサラミの日、出発後初めて車が止まった時、予期していた通り長男から要求があった。しかしその要求は「スルメください」であった。「スルメは無いんだよ、サラミならあるよ」と返したら「サラミください」と言い直してきたので、サラミを渡した。次のタイミングでは、最初「スルメください」と言いかけたが、途中で気づいたのか「サラミください」に言い直してきた。その後も何度か同様の言い直しパターンがあり、最後の頃にはすんなり「サラミください」と言うようになっていた。

長男には、与えられたものや与えられた状況が気に食わない場合、その時に得られようが無い代替を求める駄々を捏ねてくる節がある。しかしこの事象は、それには当てはまらないように思える。上述の通り長男はサラミも好きであり、「気に食わない」ものでは無い。そもそも、駄々捏ねの場合はこちらが「無いよ」と言ったところですんなりと聞き入れたりしない。指摘されてすぐに訂正したり、もしくは自分から言いかけた内容を引っ込めて言い換えたりしてきたあたり、単純にサラミをスルメと間違えたのではないかと見ている。

しょっぱい仲間・ご褒美おやつ仲間

では何故サラミをスルメと間違えたのだろうか、という点が気になる。これらは、少なくとも大人視点からは、かなり違うものである。

両方ともしょっぱいものではある。以前のエントリで少し触れたが、「しょっぱい」のような具体的実体を持たない概念を理解させるためには、それが与えられた時にその言葉掛けをしてやるのが良い、という事は療育の先生にも言われている。過去エントリを自分で書いておきながら、普段あまり実践できていない点ではあるのだが。実際、まだ「しょっぱい」という言葉と概念は長男には入っていないように思える。その状況において、味の方向性の近さ故に長男がサラミとスルメを間違えているとしたら、これは「しょっぱい」概念を導入するチャンスではありそうである。

長男にとってのご褒美おやつの一種である、という点もサラミとスルメの共通点ではあり、そこから連想して間違えた可能性も考えられる。特に療育帰りの車中におけるご褒美おやつとしてサラミを食べるのは初めてだった、という事は影響しうるだろう。この場面で「サラミ」という言葉が出てくるという事が、長男にとってかなり意外性の高いものであった可能性は大いにある。その点では、上述の通りスルメも、療育帰り車中のご褒美おやつとしては久しく食べさせていないのだが。それでも、この場面で食べていた実績があるにはある。

ただ、これら二つの分類に基づく考え方だと、何故イカとは間違えなかったのか、という事を説明できない。イカもしょっぱいものだし、ご褒美おやつの一種でもあり、しかも療育帰り車中にて頻繁に食べているものでもある。それにも関わらず、この時長男が間違えて発言した内容は常に「スルメ」であり、イカとサラミを間違える事はなかった。

S○R○M○

そのような事も考えながら車を運転しつつ、一方で、なんとなくスルメとサラミが似ているような気がする、ということも思っていて、何故だか分からないでいた。帰宅後しばらく考えていたら、この二つは言葉として音が似ているのだという事に気づいた。まず第一に、両方とも三音で構成されている。しかも、発音する時の口の動きが、とても似ている。

スルメもサラミも、母音は異なるが、子音だけ取り出すと共に「SRM」である。シを除くサ行音(S)の発音は、上の歯の裏に舌を当てて息を出す。ラ行音(R)の発音は、上の歯茎を舌で弾く。マ行音(M)は、唇を閉じて溜めた音を唇を開いて放つ。この口周りの動きの流れが、スルメもサラミもそっくりである。本題から逸れるが、同様の子音の並びを持つ「すり身」等も同じ口の動きをする。

更に、母音は異なるとはしつつも、そのパターンというか、リズム感は同じである。スルメの母音は「UUE」、サラミの母音は「AAI」で、構成する音自体は違うが、最初の二音が同じで次に違う一音、というパターンが共通している。上述の子音の一致と合わせて、二つの言葉の響きを似通ったものにしているように感じられる。一方、アクセントは異なる。少なくとも私と長男の発音4においては、スルメは二音目「ル」以降にアクセントがあり、サラミは最初の一音目「サ」にアクセントが乗る。ただ、その違いにも関わらずこれら二つの言葉に音声的類似性を感じるという事は、その感覚にアクセントが与える影響は大きくないらしい。

もし、この音声的類似性、ひいては発音する時の口の運動の類似性のために長男がサラミをスルメと間違えていたのだとしたら、それはとても面白いなと思った。言葉の理解や獲得に、自らの発声運動が強く関与しているという事である。それはとてもありえそうな話で、言語発達関連の教本等読んだら普通に書かれている事なのかもしれない。仮にそうだとしたら、器質性の構音障害がある子の言語発達はどうなるのだろうか。その手の調査も調べたら見つかりそうな気がする。興味深い分野である。

結局理由は分からないけれど

しょっぱい仲間だからなのか、ご褒美おやつ仲間だからなのか、はたまた音が似ていたからなのか、長男がサラミをスルメと間違えた理由が実際に何だったのかは分からない。何で間違えたのか教えて欲しいくらいだが、それを聞いてみて答えが返ってくるようであれば何の苦労もない訳で。

その点、検証しづらいというよりほぼ出来ない状態ではあるのだが、長男の不思議行動を起点とした知的探究は面白い。だいぶ以前のエントリで触れた事でもあるが、久々にそれを思い起こす今回の「スルメとサラミ」事案であった。


  1. これに関しては私自身もそうで、酒は飲まないくせにつまみは好きである。
  2. 相対的に塩分控えめだったので。
  3. 車が動いている時に要求してくることもあるので、その時は「車が止まるまで待ってな」などと返している。
  4. 一般的にも同様なアクセントでなかろうかとは思うが。

Karl Fazerミルクチョコレート

先日、再びヨーロッパ方面の海外出張に行っていた。その前の出張から二ヶ月そこらしか経っておらず、かなり珍しい頻度である。行先は日本からの直行便もある都市1だったが、最近の諸事情で航空券の値段が馬鹿みたいに高くなっていて、とても選べない。経由便の選択肢がいくつかある中で、今回はフィンエアーのヘルシンキ経由になった。それでも、かつてと比べたら遥かに高額なフライトではあったが。

帰路ヘルシンキ空港にて。土産の類は買い込んだ後。

ポスドクをしていた時期のうち、2017年から2018年にかけて、九ヶ月ほどフィンランドに留学していた。それ以来、ほぼ八年ぶりのフィンランド上陸であった。単なる乗り継ぎで、空港から出る余裕など全く無い旅程ではあったが、免税店等で懐かしい雰囲気に当てられ、出張先での土産に加えて諸々買って回った。

Karl Fazer

中でも大量に買い込んだのが、フィンランドの有名な食品企業Fazer社の代表的ミルクチョコレート、Karl Fazerである。 www.fazer.com

Fazer社のみならずフィンランド全体において代表的なチョコレートであるとされる。初めて食べたのは留学中に参加したとあるカンファレンスで、休憩スペースの大皿に大量に盛られていた。一口サイズのチョコレートがキャンディのように個包装されていて、このような場面で扱いやすいものだと思う。食べてみたらとても好みで、それ以来、時折スーパーで買っては寮の自室で食べていた。当時付き合っていた彼女=今の妻に送った事もある。

最も標準的と思われるキャンディ型のKarl Fazer。他に板チョコとかチョコバーのような形でも売られている。

個人的な感想としては、美味なのは上述の通りである。更に、口に含んで最初は甘味が強めだと感じるのだが、その甘さにはくどさが全く無く、食べ終えた後に甘ったるさが残らない。おかげで、一つだけ食べて止めるというのが難しく、少なくとも三、四個は一度に食べてしまう。箱を開けると結構な数が入っているのだが、そんな訳で、食べ始めると一箱くらいすぐに無くなってしまう。

標準的な箱、およそ40個入り。妻と二人で食べて、帰国後二日で一箱空いた。徳用の大箱もあるのだが空港免税店には売ってなかった。

フィンランド土産として自信を持って推奨できるものである。今回は単に経由地でしかなかったので仕方がないが、可能なら空港免税店ではなく市中で買った方が安い。高級ブランドというよりは生活に身近なチョコレートであり、大体どこのスーパーでも置いているし、値段もそれほどしない。八年前の留学当時は一箱5.5ユーロ程度で買っていたように記憶している。今日日、少し値上げされているのだろうか。今回の空港免税店での値段は、一箱9ユーロ程度であった。2

Fazer社のその他製品

Fazer社と言ったら上述のKarl Fazerだと思うし、そのパッケージの青色からFazer blueとも呼ばれるくらい認知された製品である。しかしそれ以外の製品・ブランドもある。

日本ではGeishaブランドのチョコレートが有名だろうか。キャンディ型のKarl Fazerと同じサイズのチョコレートで、中にナッツ系のフィリングが入っている。製品名の由来は日本語の「芸者」であるらしい。個人的にはスタンダードなKarl Fazerの方がより好みではあるが、こちらも美味である。 www.fazer.com

Karl Fazerブランドのブラックチョコレートがあるというのは、今回初めて知った。ブラックチョコレートを好む私の母3のリクエストである。カカオ70%で、ブラックチョコレートの中ではかなり食べやすい部類。

黒いパッケージ。キャンディ型のフォーマットは通常のKarl Fazerと同じ。

Fazer社は菓子の他に、グループ内でパン等も作っている。スーパーでFazerのライ麦パンを買って食べていた記憶。 www.fazergroup.com

ついぞ挑戦する事はなかったが、フィンランドには、しばしば「世界一まずい菓子」と呼ばれるサルミアッキというものがある。現地では普通の菓子の一つとして受け入れられているそうだが。Fazer社はこれも作っている。挑戦する勇気は無い。 www.fazer.com

フィンランド行ったらKarl Fazer

改めて、本エントリの主張はKarl Fazer美味いという事である。しかも肩肘張った存在では無い、気軽に買えるチョコレートである。フィンランド土産に良い。個包装なので会社等でのばらまきにも使いやすい。

ただ、気軽に買えるのは現地だからであって、私にとって留学時代の馴染みの味であるにも関わらず、普段は縁遠い存在である。今回買ってきた分も早々に無くなってしまうだろうし、その後はまた焦がれる日々に戻るのである。またヘルシンキ経由の出張でもあると良いけれど。

余談 ー フィンエアーはとばっちりも良い所

かつてヘルシンキは日本から9時間そこらのフライトで到着できる場所だったのだが、今は13時間程度かかる。かつてのルートはロシア上空を飛んでいくものだったが、ウクライナ事案以来これが使えない。更には最近のイラン情勢で中東も危うい。今回の往路は北極上空を飛んで地球の北側を「跨ぐ」感じのルートであった。帰路は、ヘルシンキから南下しつつウクライナ辺りを避けて回り込み、更に中東を針の穴を通すように抜け、ユーラシア大陸を横断するルートであった。かつてのルートと比べたらどちらも非効率極まりない。

元々フィンエアーは、ロシア航路による極東方面とヘルシンキの地理的近さを活かして、ヨーロッパ方面の乗り継ぎ客を取り込んでいた。実際、極東路線を多く持ち、日本路線の定期便も多い。そこに昨今の情勢により迂回が必要になっている事、フィンエアーにとってはとばっちりとしか言えまい。一出張者としては、フィンエアーヘルシンキ経由を選ぶ合理的な理由4が少なくなって、Karl Fazerが更に遠い存在になるという問題になる。


  1. 何度か出張した事のある行先で、直行便を使ったこともある。当時の感覚からしたら、今の航空券の値段はとても信じ難い。
  2. 留学当時は1ユーロ120〜130円台だったので、昨今の円安によっても感覚が違ってくる節はある。ほぼ1.5倍になっている訳で。
  3. 八年前の留学時、両親が一度フィンランドに遊びに来た。その時にこのブラックチョコレートを土産に買って帰ったらしい。
  4. 今回に関しては、会社指定の代理店が出してきたルートの中で一番安かった。

拒絶・否定の器用さ

以前のエントリで次男三歳の夜泣きについて触れた。 blog.kolmas.tech ここ最近、この夜泣き傾向はかなり収まってきていた。3月でこれまでの保育園を卒園し、4月になって新しい幼稚園に年少で通いだした所、慣れない環境に置かれたためかここ数日再び夜泣きが発現しているが、3月中下旬はあまり夜泣きしていなかった。その頃も、時々深夜に起きたり、あるいは起こされたり1すると大泣きしていたが、それが毎日のように続いていた2月頃とは明らかに様子が異なっていた。

それと同時に、次男の言葉の使い方が随分と器用になってきたと感じる。特にそれを感じるのが、拒絶や否定の表現である。遅れてきたイヤイヤ期、という訳ではなさそうであるが。

正しい活用で拒否してくる

動詞を使う日本語の否定表現は、例えば英語等と比べると複雑なのではないかと思う。英語だったら、少なくとも自身が主語の現在形である限り、とりあえずnot付けておけば否定になる2が、日本語の否定表現には動詞の活用=未然形が必要である。日本語文法の話として、活用には動詞によって様々な種類があり、子供らが良く使うような動詞をいくつか挙げるだけでも例えば以下のようである。

  • 「やる」→「やら(ない)」:五段活用
  • 「見る」→「見(ない)」:上一段活用
  • 「食べる」→「食べ(ない)」:下一段活用
  • 「する」→「し(ない)」:サ行変格活用

こう書き出してみると、「しない」に関しては次男からは聞かない気がする3が、それ以外はどれも自然に次男の口から出てくる。ここに書いていない動詞についても、私が聞く限りにおいては、それらを否定表現に用いるときに正しく活用できているようである。さらに時折、我々家族が普段否定表現で使わない4動詞を用いた否定表現が次男から出てくることもあって、驚く所である。単に周囲の表現を真似しているだけではなく、規則性を見出しているのだろうか。勿論、保育園・幼稚園で聞いた言葉を使っているだけ、という可能性もあるが。

しかも未然形による否定表現だけでなく、連用形+「ません」の形で否定表現を作ってくることもよくある。上記例で言えば、即ち「やりません」「見ません」「食べません」等となる。これも意図して家族から教えた表現ではない。保育園・幼稚園で身につけてきたのかもしれないし、我々の電話口での言葉遣いを聞いていたのかもしれない。いずれにせよ、正しく動詞を活用してこれら否定表現を作って使えている。これを見ても、やはり言葉の規則性、しかも上述の通り比較的複雑なルールを、少なくとも一定程度は体得しているのではないかと思えてくる。そう思うと、変格活用である「しない」という表現が出にくいのも理解できる。

まぁそもそも自然言語の文法なんてものは、元々自然発生している言語の仕組みに規則性を見出し体系化するために後付けされたもの5に過ぎない。であるからして、その仕組みは人が自然に体得できて然るべきではある。ただここ最近の次男三歳の言語能力の急激な伸長を見て、人の脳はすごいなと思う所しきりである。これまでのエントリで何度か触れている自閉傾向長男の言語能力も伸長してきているが、次男と比べるとゆっくりしている。コンピュータ屋の端くれの視点からすると、正直、この長男の言語習得の様子の方がまだ納得できるくらいである。人の脳は、何故こうも勝手に色々なことを学んでいけるのだろう。

人のせいにしてくる? ー 状況の理解

若干話が逸れたが、次男の拒絶・否定の器用さの話題に戻って、先の話題の他にも器用さを感じた事として、自分のした事を別人がした風に答えてきたという事例がある。道義的には褒められた事ではないが、子供らしいと言えば子供らしい事ではあり、しかもこれは、自身の周りの社会を理解していないと出来ない事だろうと思う。

先日のエントリでも少し触れたが、半ば諦めてはいるものの、部屋を散らかされるのがどうにも駄目である。諦めてはいても思う所があるのには変わらず、その様を見るにつけ、つい「またこんなに散らかしてからに」等と呆れ声を発してしまう。先日、これを聞いた次男の笑いながら曰く、「〇〇ちゃんがやった」との事。ここで「〇〇ちゃん」は長男の愛称である。長男も次男も部屋を散らかすので、まあそうかと、報告をするようになってきたのかと思いながら聞いていた。しかし妻の曰く、その場に関しては実際に散らかしたのは次男であったとの事。それを聞いたら、散らかった部屋への苛立ちはたちまち霧消し、次男がそんな高度な事をするようになったのかという苦笑いに変化した。

次男がどこまで本気でこの発言をしたのかは分からない。少なくとも悪意はないだろう。妻が笑いながら「やったの●●ちゃんでしょー」と言ったら、次男も笑いながら「●●ちゃんがやった」と言った。ここで「●●ちゃん」は次男の愛称である。主語の考え方は、後述の「人に押し付ける」例からしても理解しているようであり、自分が言っている事の意味は分かっていそうである。ただ、言葉の意味が分かっていても、その文脈を捉える事にはまだ難しさがあるのかもしれない。この会話をしたその時に関しては、部屋を散らかしていたのは確かに次男であったろうが、普段は長男・次男のどちらも散らかす。その観点から答えれば、私の発言に対する次男の返答も間違ってはいない。私の発言はその時その場面のみに言及する意図であり、その意図は妻には伝わっていたものの、確かに字面に現れているわけではない。

どうあれ、言葉の器用さが増したな、と思うと同時に、自分に関わりのある人間や周囲の状況について、かなり正しく捉えられているのだな、と感じる事案であった。悪意で嘘をつくようだと困るが、そのような風でも無さそうではあり、今は純粋に発達を喜ぶ方向で捉えている。

人に押し付ける ー 主述の整合

他者を巻き込む表現でもう一つ面白いと感じているものは、その他者に押し付けるような形での嫌なものの拒絶である。これも割と最近出てきたもので、典型的な場面は食べたくない食べ物を出された時である。

長男も次男も食わず嫌いであり、新しいものは中々食べない。まず間違いなく自発的には食べないので、その類のものはまず大人が取って出してやる。これで食べれば儲けもの、更に味等が気に入れば続けて食べてくれる。一方、気に入らなかった場合は、それ以降は食べるのを拒否する。もしくは、見た目で気に入らないのか、最初の一口目の段階から拒否される場合もある。これらの場面における拒否の方法であるが、長男にしても次男にしてもよくあるパターンは、物理的に食卓から逃走するか、もしくは「食べない」と発言するか、である。本人が空腹でなくなってくると逃走率が上がる6ものの、「食べない」という表現は二人とも自然に出てくる。言葉で言えるのはとても良い事なので、後は逃走するのをやめて欲しい所である。

さて本題の次男、最近、上述の逃走と「食べない」に加えて、食べたくないものを出された時の反応に「パパが食べる」発言が出るようになった。これも初めて聞いた時は笑ってしまった。「パパが食べて」等のように要求の表現として完成してはいないが、明らかに私がそれを食べる事を要求している。そして本人は自分が食べたいものなら食べている。食べたくないものを私に押し付けたのだ。実際、私が食べたら満足気である。先にも触れたが、主語とそれに応じた述語の関係性が正しく確立しているのを感じる。この辺りが、長男はまだちょっと怪しい。

上記例だと主述の二語文だが、それだけでも表現の幅は案外と広いものだと思える。目的語を加えてSVO的になった三語文も話しているが、まずは主述がぴったり整合する事が大事なのだろうと感じる所であった。

言語発達の理論を知るべきか

上記全て、n=2である子供ら7の観測のみに基づく適当な発想である。より大規模な観測とそれに対する科学的手法による検討、の成果であるところの言語発達理論を勉強したら、それも面白そうに思える。そんな余裕があるのか、また勉強するにしても仕上がる頃にはその知識が不要になっていないか、という気はするが。


  1. 次男が外部要因で深夜に起こされる場面、というのは、大抵は三男が深夜に授乳を求めて泣く声による。それでも最近はほとんどの場合、起きずに寝ていてくれるが。尚、長男は基本的に一度寝ついたら、周りが泣こうが関せず朝まで寝ている。
  2. 一般動詞だったら助動詞do付けてdo notあるいはdon'tじゃないか、と言われそうだが、強調の意味合いで肯定文でもdo+一般動詞の形を取り得る事を考えれば、やはり否定の本質はnot付けるだけだろうと思う。
  3. 「する」→「しない」の意味合いは「やる」→「やらない」で概ね代替可能であり、今の所はそれで問題がないように思える。丁寧な表現として、将来的には当然身につけねばなるまいが。
  4. 肯定表現では使う。
  5. 私はそのように理解しているのだが、これは言語学の人に聞かれたら怒られるだろうか。
  6. そのくせ、再び食卓に戻って来て食べ始めたりする。それ以上もう食べそうにない時は、ごちそうさまを言わせるようにしている。
  7. 六ヶ月の三男はまだ喃語の段階なので数えない。