kolmas.tech note

雑記と思索、偏った技術の覚え書き

油そばの研究

先日、仕事上の理由で久々に出身大学を訪れる機会があった。その仕事がつつがなく完了した後、私には参加しなければならない別のウェブ会議があった。同行者と別れ、学生ラウンジの一角に陣取って1そのウェブ会議に参加し、終わった時には18時であった。

良い晩飯時であったので、大学人時代に頻繁に行っていたラーメン屋に行く事にした。近隣住民であった当時は車で行っていた2店だが、幸い大学最寄駅から電車一駅+徒歩10分で行ける範囲である。大学近辺を去って久しく、滅多に得られない機会であった。その店の油そば=汁なしラーメンが好きで当時は良く食べていた。これを数年ぶりに食べて、大いに満足して帰宅の途についた。

「あの」油そばを再現したい

大学近隣の住処を離れて以来、ずっと食べたいと思っていたものであった。大分以前に、妻が家で油そばを作ってくれた事があった。それもまた旨かったのだが、あの店の油そばとは全く別の旨いものだった。それはネット上でよく見かける油そばのレシピに従ったもので、醤油やオイスターソース、酢等を用いたものである。一方で、「あの店の油そば」にはこれらの材料が入っている気配が全くしない。油そばには多様性があるらしい。

先日はたまたま食べる事が出来たが、そんな機会は滅多に生じない。ここは一つ、近しいものを家で再現できないか試みる事にする。先日の味から想像して、使われているのではないかと想像されるものを試作材料として買ってみた。詳しくは次節で説明する。

買ってきた中でも、普段は買わないようなものとして「ねりごま」「中華あじ」「鰹粉」がある。

試作1回目(26/07/06) ー もやし和え

いきなり油そばではないのだが、上述の試作材料を買ってきた翌々日、仕事から帰ってきた20時、妻が油そば味でもやしを和えてみたらどうかと言った。その妻の手元には上述の「よくある油そばのレシピ」があったのだが、それを作るくらいだったら、せっかく試作材料を買ってきてあったのだから、試作してみようではないかと取り組んでみた。

レシピ

タレは以下の材料を一様になるまで混ぜる。以上。

  • 白ねりごま 大体70g3
  • ごま油 30g
  • にんにくチューブ 15g
  • カツオ粉 5g
  • 中華あじ 10g

上述の機会で件の店で油そばを食べた際、何で出来ているのだろうかと少し考えていた。その感覚に従って適当に混ぜてみる。件の油そばのタレにはクリーミーな何かが感じられ、そのクリーミーさの元が、ごまではないかと推測。ねりごまを投じる。そして、そのねりごまを何となく良い感じに割れそうな量のごま油を投入。目分量ではあるが、投入量は秤で測っておく。次いでにんにくチューブであるが、件の油そばは明らかににんにくが強く効いているので、多めに投入。隣で見ていた妻が若干引いていた。さらに、鰹節系の旨みも感じられたので、分量は適当だが鰹粉投入。ただ、ここまでだと塩気が全くない。件の油そばは、醤油系の味は入っていないように感じられるが、では塩気が何なのかというと想像がつかない。想像がつかないので、とりあえず中華あじ4を入れてみた。

これらを混ぜて作ったタレを、適量もやしに和えてみる。中途半端な量が余ったので、豆腐にも付けて食べてみた。

感想

  • もやし和えは美味。言ってしまえばやたらとオプションを増したごま和えであるから、失敗しない味ではあろうが。
  • 件の店の油そばを思ってもやし和えを食べてみると、当然ズレはあるものの、味の方向性についてもそこそこ近しいものが感じられる。
  • にんにくの量に引いていた妻も、美味しいと言ってもやし和えを食べていた。
  • 豆腐に付ける食べ方においては、塩気が強すぎた。もやし和えにおいては、もやしから出た水気と合わさってちょうど良い塩の濃さになっていたらしい。
  • 作っている時には感じなかったが、食べてみると油そばのタレとしては粘度が高すぎる。この問題も、もやし和えにおいては、もやしの水気と合わさって良い感じの粘度になっていた。
  • 上記の塩気と粘度の問題からして、ごま油をもう少し増やした方が良さそうである。

その他

  • 本当は油そばにするための麺も買ってあったのだが、もやし和え5を作った時点で、油そばを出来るだけの量のタレが残らなかった。そのため、油そばは次回試作に持ち越しになった。

試作2回目(26/07/15) ー 今度こそ油そば

塩気と粘度の問題はあったが、味の方向性としては悪くない感じなので、上記の考え方で本命の油そばを作ってみる。

レシピ

タレは以下の材料を一様になるまで混ぜる。前回の反省を踏まえて、ねりごまを割っているごま油を増やす事にする。それに合わせて、にんにくと鰹粉も増量してみる。塩気の元である中華あじは増やさない。

  • 白ねりごま 大体70g
  • ごま油 60g
  • にんにくチューブ 25g
  • カツオ粉 10g
  • 中華あじ 10g

完成したタレは、半分ずつ、妻と私の椀に入れておく。麺は、これまた件の店の油そばを思い起こし、スーパーで太めのものを買ってある。一人前240gが二人分入りの大袋である。茹でて、椀に半分ずつ入れてタレと和える。その上に、これまたスーパーで買ってきておいてあったチャーシューを盛る。

完成品。圧倒的茶色。件の店の油そばはここまで茶色ではなかったが…?

感想

  • 手前味噌だが割と美味い。塩気もちょうど良い。
  • 件の店の油そばと比べてみて、味の方向性はそこまでズレていないように感じる。ただ、ごまの存在感がかなり強い。あの油そばのタレの基材6は、ごまではないのかもしれない?
  • 美味いが、流石に油が強すぎる。チャーシューを食べると清涼感を感じるという、ちょっとおかしな事になっている。油を増してタレの粘度を下げるという発想が間違っているのか?
  • つけ麺用の太い麺を使ってみたが、流石に太すぎた。また、一人前240gは油の濃さも相まって多すぎた。

今後

食べた時の味の記憶と勘だけで、好きだった油そばの味を再現してみようとする試み、勘の割にはそこそこうまくいっている。ただ完成形はまだまだ先にある感。引き続き検討が必要である。


  1. 周りから見たら不審者だっただろうか。
  2. 学生時代は研究室の先生方や先輩方の車に乗せてもらい、自分の車を持って以降は、その自分の車で一人、もしくは後輩や、結婚後は妻を乗せて。
  3. 70g入りのねりごまの、最後の方を絞り出しきれなかったので、「大体」70g。
  4. 味の素社の中華調味料。
  5. 我々は一度に結構な量のもやしを食べる。
  6. 食べ物に対してなんて言葉を使っているのか、とは思うが、ねりごまと油を混ぜている時、そんな感覚を持つのである。www.weblio.jp

エピステミック情動

だいぶ前に以下のエントリを書いた。 blog.kolmas.tech

大学を離れ、研究職でもなくなった今でも、信学会1の会員だけは続けている。とはいっても、具体的な学会活動への参画などほぼしていない。毎月の学会誌も、目次を見て気になった記事をつまみ読みするくらい。しかしそんな中、六月号の学会誌に興味深い論文が載っていた。それが表題の「エピステミック情動」というものに関する研究である。エピステミック情動という概念は、上掲の以前エントリを書いた我が身に深く深く響いた。

エピステミック情動

エピステミック情動というものについて述べている日本語の文献はあまりないように見える。しかも、多くの論文をタダで読めた大学時代2と比べて、論文一本読むにも有料である事が多い。

E. Voglらの論文 3の冒頭では、エピステミック情動が何なのかシンプルに説明されている4。曰く、予期せぬ事を知った時の驚きや、疑問が解消されない時の好奇心、矛盾する情報に触れた時の混乱などがエピステミック情動=epistemic emotionsの典型例であり、これは知識を獲得する原動力である、と。エピステミック情動は知識生成の質に関連があり、学習などの場面に極めて重要であると考えられている、と。

これは、冒頭掲載の昔のエントリを書いた私、即ち、初学者にこそ学習している話題に関して感動を得てほしいと思っている身には、実にしっくりくる話である。かのエントリで私が述べていた「感動」とは、ここでいうところの「予期せぬ事を知った時の驚き」であったし、その過程には「疑問が解消されない時の好奇心」も「矛盾する情報に触れた時の混乱」もあった。もしくは、これまた随分前の別エントリで紹介した藤井学氏の著書5の一節にあって、私としてはとても同意できる以下の言及も、エピステミック情動と関連づけて説明できる部分があるように思う。

ところで、学問でも仕事でもそうだと思いますが、貪欲に知識を吸収しながら徹底的にのめりこんでいくと、やがて、ばらばらに見えていたさまざまなものが有機的につながってくる瞬間がやってきます。 --藤井学 お父さんもがんばる!「そらまめ式」自閉症療育 自閉症の子どもと家族の幸せプロジェクト ぶどう社

開眼する事の愉悦

具体例として、私が冒頭掲載のエントリを書いた時の根拠の一つであった「再帰の再発見」について、それこそ件のエントリと重複する部分もあるが、改めて紹介したい。

大学学部生一年時に履修していた授業で、各講義回の終わりに問題が一つ提示され、その問題を解くプログラムの考え方を検討してレポートにまとめて提出する、という授業があった。レポートに書いた内容は、その次の講義回でそれぞれの学生から発表する。学生の発表後、担当講師からその問題についての振り返りが行われ、最後に次回に向けた問題が新たに提示される、という形式だった。考え方を検討すれば良いので、プログラムそのものを書くことまでは求められていなかったが、当時はサークル活動もせず研究室に属していたわけでもなく、時間を余した大学生だったので、実際にプログラムを作るところまでやって、レポートを提出していた。

ある回の課題は、まず自己参照を含む曖昧な構文規則があり、与えられた任意の文字列に対してこの構文規則に従った構文木をいくつ作れるか数え上げる=構文解析する、というものであった。今でこそ、再帰呼び出しの考え方で出来るだろう、更にはメモ化しなければとんでもなく時間がかかるだろうね、とすぐに検討が付くのだが、当時の私は、プログラミングにおける関数の概念はある程度分かっていたものの再帰呼び出しの考え方を知らなかった。考え方を検討する課題であるので、当然、講義回の方で事前に再帰呼び出しの説明などされていない。

大学の図書館にはパソコンを開ける自習スペースがあり、そこに座って取り組んでいた。繰り返し似たような処理をする必要がある、というのは容易に分かるが、そうした時、当時の私が持っていたカードは反復構文だけである。構文木がどんどん枝分かれしていくので、単純な反復構文だとそれを全て追いきれないように思われる。構文木の枝分かれに応じて処理をネストすれば出来なくは無さそう?しかしそれでは、任意長の文字列に対応出来ない。大体、課題の中で具体例として挙げられている対象文字列だけで考えても、数十数百と制御構文をネストさせないと追いきれない。それを全部手書きするなんて馬鹿げている。しかもそうしたところで、上述の通り任意長の文字列には対応出来ないのだから、本質的な解法ではない。

そんな事を数時間ぐるぐると考えていた。そうしたらある時、構文木の一つの節とそれ以下を処理するという考え方の関数を作って、その中の「それ以下」の処理をその関数自身に再度投げれば良いのではないか?という事を思いついた。それはまさに再帰呼び出しの考え方6であった。しかし、思いつきはしたものの、今まさに定義せんとしている関数から、その関数自身を呼ぶなど出来るのか、エラーにならないか、と思った7。半信半疑でプログラムを書いてみて、実行してみたら、出来た。ずっと暗いトンネルを歩いていたところに、美しい視界が突然開けるが如き感動であった。最早愉悦と言ってすら良い。

次回の授業でレポート発表し、この考え方は再帰呼び出しというものだと知った。その時の私のプログラムは、メモ化していない単純な再帰のプログラムで、長い入力文字列に対しては処理時間が極めて長かった。授業の中で、さらにメモ化再帰の考え方も説明され、実際に試してみたら処理時間は劇的に短くなった。再びの感動。そのたった一回の課題で、再帰呼び出しの考え方は私のプログラミング方法論の中にしっかりと確立され、自在に使いこなせるものになった。習得の過程は明らかに「車輪の再発明」なのだが、とても良い経験だったと思っている。

振り返ってみるに、これはまさにエピステミック情動が大いに効果を発揮した知識習得であった。即ち、与えられた問題を解くために色々と考え続けていた好奇心、それが手持ちのプログラミング方法論では全くうまく出来ないという矛盾、そして最後に得られた、関数から自身を呼び出しても良いのだという発見の驚き、これら全てが相まって、私に再帰呼び出しの考え方を染み付かせたのだ。今でも、再帰はとても面白い考え方だよなと思っている8

力技アプローチ

そんな経験があったから、冒頭掲載のエントリで述べたように、初学者に対して感動を与えられるような教え方をしたいものよな、とずっと思っていた。今ならこれは、学習者のエピステミック情動を惹き起こすような教え方が出来ると良いよな、と言い換えられる。自分が抱えていた朧げな思いが、このように学術的に検討されているものだったのだと知り、とても驚き興奮した。これもまた9エピステミック情動。

ただ、それもまた難しいことだよなと思っているのは、それこそ冒頭掲載のエントリでも述べた通りである。そんな中で、これも冒頭で触れた信学会誌掲載の論文はとても面白かった。大雑把に言ってしまえば、脳波を計測して機械学習に焚べ、対象者の評価も合わせて、エピステミック情動が生じている時の脳波の動きを弁別可能にする事を目指すもの。これが出来れば、逆に、脳波の計測を元にしてエピステミック情動を惹き起こすような教授法を動的に導入する事も繋がりうる。情報機器を活用して学習者毎に個別最適化された学習環境を構築する考え方10と組み合わせて、より効率の良い学びを与えられるだろうとしている。

この論文を読んで、まずは上述の通りエピステミック情動という概念を初めて知り、いたく感じ入った訳だが、その上でこの論文の内容自体に対して最初に思った感想は、すげー力技、である。私のような僅かな教育経験しか持たない端くれですら「感動」という言葉で表して思い至ったエピステミック情動的な考え方は、恐らく古今東西の教育者が悩み続けている事なのではないかと思う。それを、脳波計測と機械学習の組み合わせ、あえて俗な言い方をすれば潤沢な計算資源の力で殴る事で解決せんとする訳である。こう書くと悪感情があるように見えるかもしれないが、全くそういう事は無くて、ただ純粋に、この力技的アプローチにハッとさせられたのである。

とは言いつつ、学ぶ事の悦楽の源泉であるとすら思っているこのエピステミック情動を惹き起こさせる事を機械学習・AIに委ねるという事に対して、それで良いのか人類知性、と思わない事はない。まあしかし、それこそ冒頭掲載エントリで「初学者にこそ感動を」などと言っていた事を踏まえると、それこそ初学者向けに伝えねばならない事自体は一定程度確立されているのだから、別に構わないのかもしれない。かのエントリでも、感動を得られる学習者は独学出来るのではないか、と書いていた。入門教育というものの在り方が、揺らいでいくだろうか。

諸々読まねば

諸々書いてきたが、エピステミック情動というものに対する私の理解はまだまだ全く不十分であると考えられる。様々なアプローチから論文がありそうなので、読んでみなければ。


  1. 電子情報通「信学会」。
  2. ありがたい環境であったものだ。
  3. Vogl, Elisabeth, Reinhard Pekrun, Kou Murayama, and Kristina Loderer. “Surprised-curious-confused: epistemic emotions and knowledge exploration.” Emotion 20 (4): 625–41. 2020. https://doi.org/10.1037/emo0000578.
  4. 有難い事に、オープンアクセスで。
  5. 長男の自閉症療育の文脈で読んだもの。
  6. 課題で示された構文木の特徴から、相互再帰をも含む考え方であった。
  7. 今から考えれば、関数の「定義」と「実行」の違いが明確に区別されていなかったのだろうと思う。
  8. 実用的なプログラムが作れるほどではないが、トイプログラミングとしてCommon Lispなど、とても楽しい。
  9. まさに再帰的。
  10. こういうの。www.britannica.co.jp

瓶詰めベビーフードは良いものだった

キユーピーがベビーフード事業から撤退するらしい。 lp.kewpie.com キユーピーの瓶詰めベビーフードは我々も大いに活用しているところである。しばらく前に、妻が慌ててこの撤退の旨を知らせてきた。つい先日、よくよく上記のニュースリリースを読んでみたら、今年八月末に生産終了との事である。キユーピーの瓶詰めベビーフードは現状七ヶ月〜九ヶ月向けまでしか無い1ので、既に九ヶ月に至った三男はギリギリ逃げ切った形である。そのため我々が慌てる必要は無かったと分かり、その点で一安心ではある。

キユーピーの瓶詰めベビーフード

「ベビーフード 瓶詰め」等のキーワードで画像検索すると、この分野におけるキユーピーの圧倒的な存在感が分かる。他のメーカの商品が全く無い訳ではないが、幅広な商品展開という点でキユーピーには敵うまい。

この圧倒的なキユーピー商品の並びよ。(もう少しスクロールすると他メーカの商品も出てくる)

キユーピーの瓶詰めベビーフードには、大雑把に分けて主食系・おかず系・デザート系の三種類がある。 www.kewpie.co.jp 主食系は他と比べるとバラエティ少なめ、また、大喰らいの三男にとっては量も少ないので、他のメーカの瓶詰め2も買っているが、おかず系とデザート系は完全にキユーピーに依存している。私がおかず系と見做しているものは上掲のキユーピーの商品紹介ページ3では「素材」と分類されているのだが、例えば「白身魚と野菜のクリーム煮」など、ほとんどおかずと言えよう。上掲ページで果物・デザートに分類されているものも便利で、三男もよく食べる。バナナプリンが特に好みであるよう。これらデザート系瓶詰めに関しては、対象月齢を過ぎた今であっても、もうしばらく買い続けていようかとすら考えている。

瓶詰めベビーフードは良いもの

瓶詰めベビーフードの良さを以下に訴える。ものによっては、これらを満たさない製品もあるかもしれないが、少なくともキユーピーの瓶詰めや、もしくは上述の、我々が購入している別メーカの瓶詰めは、これらの特性を満たす。

  • 開けてそのまま食べられる:これが最も大きい。瓶なので開ければそのまま器にもなるから、最低限、離乳食用のスプーンだけ持ってくれば食べさせられる。ただし食べ残しの可能性を想定する場合は、食べそうな分だけを瓶から別の器によそう必要がある4ので、この利点は損なわれる。三男に関しては、大食漢であることから瓶に食べ残しが出る心配がほぼない5ので、とても楽。
  • 外出先での食事が楽:密封された瓶は持ち運びが極めて容易。外出の際にそのままカバンに入れておけば良い。しかも、上述の通り瓶自体が器になるから、個包装の使い捨てデザートスプーン6を一緒に入れておけばどこでもすぐに食べさせられる。車のベビーシートに座らせたままであってすら問題ない。
  • 潰れない:だいぶ以前に、ベビーフードは一般に対象月齢の子どもに対しては柔らかめに作られている、と言われた事がある7。ベビーフード全般の特徴と思えば瓶詰めであっても変わらないのだが、瓶詰めの場合、それ以上には潰れない、という利点がある。パウチのベビーフードだと、保管の仕方によっては周りのものに潰されて、本来想定以上に中身が柔らかくなりうる。
  • 瓶が再利用できる:ここまでの特徴は、実は瓶詰め以外にも、使い捨て容器タイプのベビーフードにも成り立つ。主食・おかずのニ容器がセットになったアレ8である。このタイプと比べた時の瓶詰めの利点は、瓶が再利用できる事である。何かを小分けにするには適度なサイズ感である。ただし、瓶を洗う必要があるとか、外出先で使い捨て容器ほど気軽に捨てられないなどといった欠点と、表裏一体ではある。
  • 詰め方に余裕がある:使い捨て容器タイプとの差別化点としてもう一つ、定量的にきっちり評価した訳ではないのだが、瓶詰めは縁ギリギリまで詰められていないと思う。これは地味に有益だと思っている。というのも、食べさせている間にもバタバタと動く子供の手先が瓶に当たった時、中身が手に付かないのだ。使い捨て容器タイプは、底浅め口広めの容器に縁ギリギリまで詰まっているので、こうした場面で被害が大きい9印象。

キユーピーベビーフードに感謝を

全体的にしょうもない主張をしている気はしている。ただ、冒頭掲載したキユーピーのベビーフード事業撤退の話題に触れ、これまで散々世話になった同社ベビーフードへの謝意を示したくなり、書き散らかした次第である。


  1. 瓶詰め以外の形態であればより上の月齢向けのものもあるが、そもそも瓶詰めに限定しなければ他のメーカのベビーフード製品も多い。
  2. コレ。このメーカの主食系瓶詰めベビーフードはバラエティ多い。一瓶辺りの量も少し多め。www.shioji.co.jp
  3. 終売したらこのページも無くなってしまうか。
  4. 口を付けたものは保存しておけないため。口をつけた残りを子供に食べさせない=大人が食べるか捨てるかする、という割り切りは出来なくはないが、勿体ない。
  5. 一食で、主食の瓶とおかずの瓶それぞれ一個ずつはほぼ確実に食べるし、何なら追加でデザートの瓶までいける。次男は少食だったので、それと比べたら大違い。
  6. 例えばこういうの。
  7. 確か、自閉傾向発覚前の長男を通わせていた保育園に言われた事だったと思う。
  8. キユーピーはこのタイプも出している。また、このタイプは他メーカの商品も多い。www.kewpie.co.jp
  9. つい先日も、九ヶ月以降向けのベビーフードにステップアップした三男に使い捨て容器タイプのものを食べさせていた時に、これをやられた。

多義的静けさ

子供ら、特に自閉傾向長男に「静かにしてな」と言うとき、その意味に「小さな声で」である場合と「喋らないで」である場合、更には「大人しくしてて」である場合の三通りがある事に気付いた。尚、長男には最初の意味でしか伝わっていないと思われる。

音量調整

「小さな声で」の話。

好きなものを目にした時、苛立った時、もしくはそうでなくてもテンションが上がっている時、長男の声量は突然に上がり、それは脇にいる大人からしたらまさに「耳を劈く」かの勢いである。ほとんど叫んでいるような勢い。そうでもしないと聞こえないような騒がしい空間にいる訳でもない1のだが。何なら、そこまでテンションが上がっている訳でも無いのに、声量が不必要に大きい時も多々ある。大人の耳的に辛い事がそこそこあり、その時は「静かにしてな」と長男に言っている。

その意味での「静かにしてな」は、冒頭でも触れたが、長男にも一応伝わる。それを受けた長男の声量は、一旦、ひそひそ声程度に小さくなる。ただし、その声量で一言を話し終えた後、その次の一言は元の大きな声量に戻っている。音量調整が出来ると言えば出来るのだが、それが維持されない。在宅時においてすら、困りこそしないものの、もう少し静かにしていてくれと思う時はある。そして公共空間においては明確に困る。長男を通わせている療育施設の一つが遠地にあり、隔週で片道二時間弱の電車に乗って連れて行くのだが、これがまあ気を遣う。何事も無ければ長男も静かに座って車窓を眺めているのだが、電車好きの長男、別の電車がすれ違うたびにすれ違った電車の名前2を口にする。テンションが上がってくるにつれて大声になっていく。私自身普段は電車通勤の身であり、朝の電車での大声というのはやめさせねばならないと思って毎回注意する。しかし、上述の通り一度は小さな声になるものの、すぐに元に戻ってしまう。

小さな声で話す事を継続して欲しいのだが、何かを継続している事、を強化するのは難しい。増やしたい行動に対して即座に好子を出して強化するのがABA的手法の基本である。しかし、「継続している事」を強化しようと考えると、そもそも対象の行動自体が長い。行動が完了するタイミングも分かりづらい。そこで一般的には、本人が理解できるタイマーなどを用意して一定の区切りを明示し、その期間内で継続出来ていれば好子を出す、といった手法が取られるそうである。これは分かりやすい。ただ、本当に身につけて欲しい事は、時限で静かにしているというよりも、周囲の状況、例えば大人が話し込んでるとか、電車に乗っているとか、に合わせて静かにしているという事である。それは恐らく発展的段階なのだろうが、どのようにしてそう発展していくのかが分からない。

割り込んで喋る

「喋らないで」の話。ただ、これに関しては、コミニュケーション能力発達の観点からは阻害すべきではない事ではないかと迷う節もある。

上述の「隔週で片道二時間弱の電車に乗って連れて行く」長男の療育では、長男と先生のセッションが終わった後で、先生から我々へのフィードバックを貰ったり、諸々のことを相談させて頂いたりする時間がある。とても有難い事である。先日などは、三男が産まれて以来初めて、妻もほぼ一年ぶり3にその場にいた。諸々の事に真摯に答えてもらえるので、妻も信頼している先生である。

で、そのフィードバック・相談をしている所に、当の長男が割り込んでくるのである。セッション終了後のお疲れ様的意味も込めておやつを食べさせたり、もしくはその辺にある玩具等で遊んでいる間は良いのだが、おやつが無くなったり、もしくは玩具に飽きたりすると、大人らの会話に割り込んでくる。無論、こちらの会話に即した割り込みなどではない。大人らが座って喋っているソファに突っ込んできたり、もしくは絵本や玩具を持って話しかけてきたり4する。突っ込んでくるのは、もちろん危ない事をしないように気を遣うところではあるが、それでもまだ大人間の会話自体は出来る。ただ、話しかけてこられると辛い。内容としてはかなり真剣な話をして、かつメモまで取っているのであり、こちら5には同時に別の会話を捌けるだけの脳の処理能力が無い。そこで、ここでも「静かにしてな」と長男に伝えるのである。ただし上述の通り「喋らないで」ではなく「小さな声で」の意味でしか伝わっていないが。

ただ、長男が話しかけてきてくれるのを無下にするのは如何なものかとも思ってはいる。少し前までは、日本語でも英語でもない謎言語6で一人喋っているという場面が頻繁にあったので、これは如何なものかと思っていたのだが、最近はそのような事もあまり無い。しかも、一人で喋っているだけでなく、明らかに大人の反応を求めている。これは明らかに進歩であるとは、件の療育の先生にもその場で言われた。このように長男から自発的に言語コミニュケーションを取ろうとする事それ自体はとても良い事であって、消去してしまってはならない。その点では、長男が話しかけてきた機会はしっかり拾ってやりたい。

ただ如何せん、どんな場面でも構わず同じ調子なのは勘弁してくれ、と思う事はある。更に言えば、長男が話しかけてくる内容はまだまだバリエーションに乏しく、同じ問い掛けを何度も何度もされていると流石に少々堪える。こちらに対話の余力がある時なら、その問い掛けから新しい問答に発展するように誘導する受け答えも考えて出来るのだが、例えば上述のように別件で込み入っている時には、その余力は無い。これも結局は、こちらの様子・状況をちょっとは気にして欲しいという思いに至る。

飽きても座っていられるか

「大人しくしてて」の話。上述の「喋らないで」の話に通じるところもある。

先日法事があり、初めて子供らを連れて行った。法事ではあるが、近しい身内だけで執り行う三十三回忌であり、さしてフォーマルである訳では無い。とはいえ、それでも一応は法事ではあり、執り行っている間は椅子に座って喋らずにいて欲しい。これもまた私から子供らに「静かにしてな」と発言する場面の実例である。とはいえ、長男にしても次男にしても、法事の間ずっと椅子に一人で直接座って大人しくしていられる、などという事は最初から期待していない。二人とも、それぞれ一人ずつ、大人の膝に乗せて座らせていた7。しばらくの間はそれで良かった。墓参りには以前も連れてきた事があったが、お堂に入れたのは初めてである。見慣れない環境であるために静かだったのかもしれない。私の膝の上には長男を乗せていたが、お堂の様子を物珍しそうに見ていた。

焼香のために立ち上がって以降がまずかった。私が焼香している間は大人しくさせていたが、その後長男にも試しにやらせようとしてみた所、嫌がった。それを嫌がるのは、そもそも試しであった事だし、可能性の一つとして想定内ではあった。ただ、それから椅子に戻って以降、大人しく座っていなかった。膝の上で暴れてしまい、しばらくは抑えていたものの最終的には乗せていられなくなった。その頃には次男三歳も我慢出来なくなっており、妻に見てもらって、二人してお堂の隅で跳ね回っていた。

そうなってしまうのも道理ではある。故人は私の祖父であり、私自身すらほぼ記憶がない。子供らにしたら言わずもがなであり、その場に何故いなければならないかなど分かるわけもない。さらには、家にいる時には何かに飽きたらさっさと別の場所に行ってしまえる、という事にも釣り合わない。ただ、そうは言っても、次男はともかく長男は来年度就学である。学区の小学校の支援学級か、もしくは特別支援学校か、を決めかねている段階ではあるが、いずれにせよ就学なのである。就学となれば、時間中座っていて何らか活動するということには慣れさせねばならない。

座っていなければならないという事を理解して座っているか、そうでなかったとしても、周囲が座っているのだからそれに合わせて座っているか。どちらにせよ、周囲の状況を理解・判断してそれに応じた行動をする、という点で、最終的には先の二点と同様の能力を求めるものになる。先述の法事の例は、子供らにとっては後者=周囲に合わせるという構図にしかなり得ず、また途中で立ち上がる機会=焼香があるという点でも分かりづらかっただろうとは思われるが。長男、最近の集団療育の中では、周囲の子供らが動いているのに合わせて動く、という事が出始めているそうではあり、もうちょっと伸びてくれれば、という所。

状況理解と対処

ここまで書いてくると、私が子供らに「静かにしてな」と伝える時、それは確かに「小さな声で」「喋らないで」「大人しくしてて」の三種類の具体的な意味を持つ多義的な発言ではあるのだが、その根底まで見ていくと「その場の状況に合わせてくれ」という共通の文脈から派生していた事が分かる。状況理解・状況対処と呼ばれる課題で、そう言えば昨年秋の長男の発達検査において、抽象概念理解と合わせて苦手な部類と言われたものである。今は、その頃と比べたらまた伸びているようにも感じるが、果たして。


  1. そのような空間に長男を連れていく事はほぼ無い。
  2. 路線名。
  3. 遠地でもしもの事があると厄介なので、三男の妊娠後期頃から控えてもらっていた。ここ最近三男がそれなりの期間保育園に居られるようになったので再開。
  4. 上記で言うところの大音量で。
  5. 少なくとも、私。
  6. 多分、子供任せになってしまっていたYouTubeのせい。今は止めさせている。動画コンテンツは親の制御が必要だろう。
  7. 尚、三男は抱っこ紐である。

寝不足は太る

寝不足だと食欲が増進するとか、そういった科学的に検討されている話ではなく、よりしょうもない話である。無論、上記の事を否定する訳では無いが。

眠くても仕事はせねばならず、そのような時には眠気覚ましが必要である。私の場合、それは例えばラムネ菓子である。ラムネ菓子はお手軽なブドウ糖源として優秀。ブドウ糖は脳の栄養。森永ラムネの大粒など、キャッチコピーに自ら「集中したい時に!」を挙げているくらいである。 www.morinaga.co.jp

グミも眠気覚ましの目的でよく食べる。特に噛みごたえの強い硬いタイプのグミは、糖分源であるのと同時に、噛む事自体にも眠気覚まし効果がある。酸味があるものも良い。例えばカバヤ食品のタフグミなどは、それらの条件を満たす優秀な目覚ましである。 www.kabaya.co.jp

で、眠気を払うためなどという理由でそんなものを食べていたら当然太るよね、という話である。グミの成分表示を見てみると、軽く食べられることからは想像が付かないほど高カロリーである。ラムネ菓子なんてほぼ純粋なブドウ糖の塊1。日に一二度そんなものを食べていたら、太るのは当たり前である。今のオフィスにはオフィスコンビニがあり、これらを容易に手に入れられる事が更に拍車をかける。オフィスコンビニはとても良いものだが、減量の敵ではある。 smartmarche.jp

いい加減腹を決めて、間食完全断ちを再開せねばならない。


  1. 上述の通り、そうである事が眠気覚ましとして優秀な所以なのだが。