以前のエントリの最後で触れた「チ。- 地球の運動について-」を読んだ。お勧めされたのはアニメであったが、電子書籍で原作漫画を読んでいる。電子書籍は少しの移動時間でも読み進められるのが良い。
色々と感じるところがあるので、何回かに分けてそれを少しずつ書き起こしていきたい。尚、一応ネタバレ注意としておく。理に宿る美しさへの感動
本作を読んでいてまず第一に強い共感を覚えたのは、地動説という理に美しさを見出すということそのものである。私の専門分野は宇宙ではなく、さらには地動説が当たり前の世界に生まれ育っていることもあり、地動説そのものに対して同様の感覚は持たない。しかし、理論や概念、更に私の専門に近いところで具体的なものでは例えば情報システムやプログラムの構成とか、そういった概念的な対象に美しいという感覚を持つことは様々にある。何故それを美しいと感じるのかと言われても、感覚の問題なので人を納得させられる自信はない。そしてそれに初めて触れた時の感覚は、作中のラファウやバデーニ等が示した反応に現れているように、感動であり、興奮であり、快感であり、半ば畏怖であり、とても強い感覚であった。
例えば前回エントリの中で触れた「再帰」を再発明した瞬間など、まさにその感覚1であった。他には例えば、ハミング符号の数理を理解した時とか。ハミング符号は表面的に理解するだけなら左程難しいものではないが、それを様々に説明する数理が最終的に一つの符号に収斂する様を見た時にはなんたる美しい仕組みかと思ったものだ。
そのような美しさに魅せられ、それを更に追求するという登場人物達の姿は、一応博士号持ちの研究者くずれとして、共感と畏敬を覚えるところである。
美しさを追求し続ける信念
その一方で、本作の登場人物の中で自分の心に一番刺さったのはポトツキの存在である。地動説に魅せられてそれを追求するも圧力に屈して断念し、さりとてその美しさへの未練を捨てきれない。ラファウの計算を修正していながら、自身にかかる圧力に屈して彼のことを密告する。そんな、ある意味で行動が矛盾している彼にかつての自分を投影してしまう。
彼は悪人であるわけではない。ただ、異端研究である地動説を圧力に屈さずに追求し続ける強さが無い。ラファウの密告においても、ポトツキ自身の「二度目の異端」が避けられることに加えてラファウも改心を宣言すればすぐ釈放されるという、ノヴァクの言う「みんな傷つかない」容易な選択肢に逃げてしまう。ここでその選択肢をちらつかせる所がノヴァクの強かさであるが。その流れに逆らったり、もしくはそうした結果として来たる残酷な結末を受け入れてまで地動説を追求し続ける程に強い信念を、ポトツキは持っていない。
私は博士課程在学中の一時期、精神を病んでいた。研究室にほとんど行けなくなり、研究活動は停滞した。その影響はその後もズルズルと後を引き、博士号はなんとか取ってしばらくポスドクもしていたものの、最終的には学術研究の場からは去った。作中のポトツキを見ていると、その頃の自分を思い出す。無論、私の苦悩など、文字通り命の危険に向かい合わねばならない作中の彼等のものとは、比べるまでもなく小さいものだろうが。
研究活動において新しい知見を拓くことができた時の感動はとても大きかった。それが論文の発行という形で、世界の片隅であっても残ったことは嬉しかった。もう一つ嬉しかったことは、自分の研究ネタで産学連携のプロジェクトに貢献できたことだ。研究活動が行き詰まっていた時でもその嬉しさはあって、今思えばそれに逃げていたのかもしれない。でもそれ自体には技術的新規性がなく論文は書けなかった。学費を払っている博士の学生ならまだしも、研究成果2の出ないポスドクなど研究室にとっては単なる穀潰しである。余計に精神がめげてくる。そうして最終的には学術研究の場を去ることにした。これもまた逃げだろうと言われたら3、もうその通りとしか言いようがない。
そんな研究者くずれの私にとっては改めて、ポトツキと対比されるラファウの行動はあまりに眩しい。彼は純粋に地動説の美しさに魅せられ、その追求に危険があることを知りながらそれを止めなかった。最終的に自身の死を前にしても屈せず、美しさの追求を後続に託さんと資料を残し、またその美しさに触れた感動を守った。一回屈してしまうとその経験を引きずってしまう。そうすると美しかったものがくすんで見えるようになってしまうということを私は経験している。彼はそうはならなかった。美しい真理を信じて追求し続ける強い信念を持っていた。
信念と狂気
というわけで、眩しいと思いつつラファウのようにはなれないと思うわけだが、ここまで書いておいて、なりたいと思っているわけでもない。
死を前にしたラファウは、それは狂気ではないかとノヴァクに問われて肯定しつつ、それを愛とも言えそうであると返した。ノヴァク率いる異端審問官が迫る前で死地に赴かんとするオクジーは、地動説を信仰していると言った。彼等が使った地動説に対する「愛」や「信仰」という言葉の感覚は、個人的には結構共感できる4。理の美しさに触れた時の畏怖や感動といった感情の揺れ動きは、人をそれに強く傾倒させるだけの十分な力がある。感情を起点とした強い傾倒というのは、「愛」や「信仰」にも共通する要素であろう。
一方で、文字通りの意味で信念に殉ずるというのは、上述の通りラファウも肯定しているところであるが、狂気の領域である。第三部のヨレンタは、信念はすぐ呪いに化けると言った。彼女はそれが自身の強さであり限界であるとも言った。このヨレンタだけでなく、ラファウにしてもオクジーにしても「呪われて」いる。呪われている状態5というのはある意味で確かに強い。ある一つのことに囚われてそこに生産性を全力で注ぎ込むと、そのことについて短期的には大きな成果が得られる。一方で、それしか見えなくなっていた結果、彼等6は自ら死へ向かった。ノヴァクもまた地動説を打倒するという信念7に呪われていて、その意味で多くの成果を上げたものの最終的には破滅した。
自分の死に直面するような場面に追い込まれたことがないという点で、私など彼等から比べて生温い環境にいるに違いないが、今から思い返せば一頃の私も「呪われて」いたと思う。それしかないと思い込んでいた。「呪い」が切れた8とき、その反動で病んだ。その点では、先に述べたポトツキに対してだけでなく、最終盤、信念を全否定されることになったノヴァクにも近しい感を覚える。
多くの信念に挟まれて
そう思うと、一つの信念に絶対的な正しさを求めてるべきではなく、それが第三部のヨレンタが言う所の迷うという事であろう。一つの信念に支配されていると、それを突き詰めた結果として躊躇いなく死んだり、その信念がすっぽりと欠落した時に病んだりする。
一方で、冒頭に戻るが、美しい理に触れた時にそれを追求したいと思う「愛」や「信仰」それ自体は、決して悪いものではない。先述の通り、それはとても快いもので、また人類知を押し広げる原動力である。「一つ」の信念に支配されているのが良くないだけ、であれば人間、複数の信念を併せ持ち、時に矛盾しうるそれらの中で迷い続けるのが丁度良い。
かつての私の信念であり呪いであったものは、学術研究の場で当時の研究ネタを追求することだった。それは先述の通り失われてしまったが、今となってはそれを後悔していない。それに代わる信念が以下のように複数ある。
- 当時の研究ネタや関連知識を社会の役に立てる。
- 自分の家族を守る。
- 自分の精神衛生を守る。
- 学術研究の場で得た科学的手法を尊ぶ。
- 他…
これらの間を彷徨いつつ9、当時の私が感じた感動を忘れないようにしたいもの。そうすれば、そこに迷いはあれど、今後はポトツキのような悔いはなく10過ごせる気がする。
余談
理の美しさに触れた時の畏怖や感動、を伝えんとしている11作品として、「チ。」とは全く関係ないが以下なども。明後日の方向に狂気じみているが。
ほとんどはpixivコミックにて無料で読める。- これは作中の地動説とは違ってまさに車輪の再発明であり、人類知に対する貢献など全くないことなのだが、学習過程にはこういう感動があるべきだと思う。これについてはまた別に書きたい。↩
- 論文以外の何かでもって研究成果を評価する取り組みも広がりつつあるが、それでも未だ主たる評価軸は論文である。指導教官は「サッカーで手を使えないルールに文句を言っていても仕方がない」と言った。↩
- 「そんな逃げてばかりで何を為せるというのか」とも言われた。全くもってその通りのド正論である。しかし、正論は精神を救わない。↩
- 自分で使うこともある。↩
- ゲームの話のようだがそれに限らない。まぁゲームにおいても所謂「呪いの装備」的なものは、そのデメリットを背負ってでも使う、特定の場面に刺さる強いメリットを持っていたりするもの。↩
- もっともオクジーについては、そこに至るまでの経緯で既にノヴァク率いる異端審問官と事故的に敵対してしまっている=異端審問官と事を構えれば死が決まっていることが、さらに後押ししているのかもしれない。↩
- その信念が彼自身から発したものではなく、他からの影響から無思考のうちに形作られていったものである、ということが更に問題。↩
- 呪いが解けた、というより、切れた。短期的にその時に注目した場合には、少なくともポジティブな変化ではなかった。長期的には良かったと思うが。↩
- 現状バランス取れてないだろ、仕事の方に比重が偏りすぎ、家庭をもっと鑑みろ、という指摘に対してはぐうの音も出ない。↩
- 学術研究時代と同じ話題を扱っているという点では未練タラタラじゃないか、と言われたらその通りなのだが、自分としては切り替わっているつもり。また、その話題自体に対する愛それ自体はそもそも捨てていない。これを今の仕事にできている事については幸運の一言。↩
- 伝えんとしている、のだと思う。かなり一方的に。↩

