大学生の頃、「教科書や授業などによる旧来型の学習は人の知識を加算で増やし、ウェブは人の知識を乗算で拡張する」という事を言っている人がいた。ここでいう「ウェブ」は、検索エンジンを使って何かについて調べる、という事を主に指している。この発言が誰のものだったのかは思い出せない。その人も、別の誰かからの聞きかじりだったのかもしれない。
これは盲目的にウェブを礼賛する話ではない。加算に対して乗算というと、そちらの方がより効率的に知識を増大させるものだと聞こえるかもしれない。確かにその側面もあるが、その一方で乗算とは、0に何を乗じたところで0のままだし、負に正を乗じると余計に負が増すものである。その特徴まで踏まえての、冒頭の発言なのである。今時の流行りも含めれば、生成AIに質問して答えてもらう、という事についても同様の議論が成り立つだろうと思う。
「何が分からないのかが分からない」
何か分からない事ついて調べるにあたって、ウェブ、ひいては検索エンジンを使うというのは今日日ごく当たり前に行われている事である。最近であれば生成AIもまた同様である。これらは、何が分からないか特定出来ていて、さらにそれを言語化することも出来ていれば、極めて強力なツールである。分からない事が解消されれば、出来ることが増える。出来ることが増えれば、その中でまた分からない事が出てくる。それが解消されれば、、、と繰り返していく事で、出来ることを主体的にどんどん増やしていける。まさに複利のよう、乗算的アプローチである。
ただしこれは、本節冒頭の条件「何が分からないか特定出来ていて、さらにそれを言語化することも出来ていれば」の話である。実際にはこれが結構難しい。プログラミング入門の非常勤講師時代の肌感覚を思い起こせば、何が分からないかを分かって質問してくる学生は相当に優秀である。そのような学生には少し指針を示してやれば、自分で講義資料を見返したり、それこそウェブ検索したりして、自力で疑問を解消できる。実際には、何かが分からなくてプログラミングの手が止まってしまった学生の大多数は、何かが分からないことは分かっているものの、それが何なのかは分かっていない。講師であるところの私、すなわち教えていることの全景が見えている側から彼らの話を聞いたり様子を見たりすると、どこが分からなくなっているポイントなのかは一目瞭然に分かるのだが、当事者からするとそれが見えていないのは普通1である。
だからこそ、学習しようとしている対象の全景が見えてくるまでは、その全景が見えている立場が学習者に寄り添っていることが必要であると思う。典型的には教員がそれにあたるだろうが、別に必ずしも人である必要はない。人である事の利点は、上記のように何かが分からなくなった時に雑な質問が出来る事である。それを脇に置いておくなら、全景が見えている立場からまとめられた教科書・入門書でも良い。その点では、ウェブ上に掲載されている教科書的・入門書的コンテンツでも良いと思う。それは、同じウェブという媒体上であっても、検索エンジンで何かを単発で調べる、という事とは違う。ただ、教科書・入門書にも良し悪しがあるので、それを見極める審美眼は必要である。で、そんな審美眼が入門段階で備わっているわけもなく、と思えば、まずは先達に頼るという意味でも「人」の利点は出てくる。
情報の審美眼
そして情報の審美眼という点では、教科書・入門書にも良し悪しがある位なのだから、ウェブ上の様々な情報についても玉石混交であることは言わずもがなである。このことには以前のエントリでも触れた。
このエントリを書くにあたって、試しに「HTML 文字を動かす」というキーワードでGoogle検索してみた。今はあまり見かけなくなったが、一昔前のウェブページではよく見られた、電光掲示板風に文字を流して表示するアレである。その時得られた検索結果の一つ目は、marquee要素の解説ページであった。最近のウェブ周りの事を知っている人には当然の事であろうが、現行最新のHTML仕様では、このmarquee要素は非推奨である。同様の見た目を実現するには、今の考え方ではCSSで諸々指定するのが筋である。無論、検索結果を辿っていけば、その方法を解説するページも出てくる。また、最近のGoogleには検索キーワードに対して生成AIによる解答を表示する機能もあるが、そちらはmarquee要素を使う方法とCSSで実現する方法を併記2してきた。
ウェブ上の様々な情報は、それが作られたのがいつであるかを問わず、ある意味それぞれ平等に存在している。marquee要素は、かつては極々一般的に用いられるものであった訳だが、その時代に作られた情報と、現行の標準に基づく情報との間に区別はない。何なら、このように「かつては正しかった情報」と「最新の情報」の区別以前に、「正しい情報」と「誤った情報」の区別すらない。それらは等しくウェブ上に存在することができ、さらに、検索エンジンでどのように表示されるかという点においても、正しいか否かなどという事は評価軸にはならない。生成AIもまた、既存の膨大な情報源の統計上に回答を生成しているに過ぎず、その回答及びそもそもの情報源が正しいか否かなど考えていない。
そのように数多の情報源が存在しうる場においては、低品質な情報はいずれより多数の高品質な情報により淘汰される、という考え方はあると思う。この集合知的アプローチの実装例の最たるものはWikipediaであり、統計に依っているという点において生成AIにも通じる。そしてこれがある意味限界でもあり、個別の情報の信頼性は担保しようがないという事である。無論、ウェブ以外の情報媒体であっても同様の事は当てはまるが、万人が情報を発信できかつ情報の鮮度や正しさに対する責任を問う者もいないウェブという場においては、殊に顕著である。
負の増幅
そのような中で、特定の物事について前提知識を持たない人、即ち審美眼を欠く人がウェブでの情報収集を介して、逆によりおかしな事を信じる方向に振れてしまうという事が起こりうる。これが即ち、冒頭でも述べた「負の前提知識」が乗じられてより増幅されるという状況である。
先の「HTML 文字を動かす」の検索の他に、一般に疑似科学・エセ科学の産物とされている製品や概念いくつか3について、その名前をGoogleで検索してみた。ある意味当たり前であるが、それらを販売・提唱するウェブページが検索結果上位に表示されるし、AI機能はそれらの効果として主張されている事項をまとめて表示してくる。上述の通り、それらの情報源が科学的方法論に則っているか否かなどという事は検索エンジンや生成AIにとって範疇外のことであり、そこには検索エンジン最適化の妙技が働くのみである。しかし、科学的手法の心得や関連分野の基礎知識なしにそのような情報に直面した時に、それらを無批判に信じる方向に人が流れてしまうという場面は容易に想像しうる。
もう少し当たり障りのない話題としてmarquee要素の話に戻ろう。そもそも「HTML 文字を動かす」というキーワードによる検索それ自体が、今時のウェブページの作りの考え方からして不適切なのである。今日の整理においては、HTMLは文書の意味的構造を記述するものであって、文字を動かすなどといった見た目の制御を行うためのものではない。見た目の制御はCSSを使って行うのである。その原則を分かっていれば「HTML 文字を動かす」などという検索キーワードはあり得ず、代わりに「CSS 文字を動かす」などとなろう。そのように検索すれば、marquee要素の解説など出てこない。これもまた、十分な前提知識を持っていれば良い情報に行き着く事が出来るが、そうでない=「HTML 文字を動かす」などと検索してしまうようだと、その負の前提知識を増幅してしまう=marquee要素に辿り着いてしまう4、という具体例である。
確たる知識基盤を持つべし
もちろん、十分な前提知識を作るというのは大変な事である。それには冒頭で言うところの加算的学習アプローチが必要であり、その教科書的に勉強するというアプローチには一定の負荷がかかる。ただ、そこを安きに流れてしまう事のデメリットは述べた通りである。即ち、何が分からないでいるのか分からずに物事を進めてしまい、その結果として得られた歪5な知識が負の方向に増幅されてより歪んでいく。一方で、冒頭でも述べたが物事について調べるにあたって、前提として確固たる知識基盤を持っている上で使いこなされる検索エンジンや生成AIは極めて強力なツールである。その正の相乗効果は、最初の加算の負荷を投じて尚、それを十分に巻き返しうるものだと信じる。
それを見越して、最初のうちはある程度の負荷がかかる学習は受忍しなければならない。
- だからこそ、何か分からないことがあったら、それを上手く説明できなくても良いから気軽に質問してね、ということは常に言っていた。教員に気軽に質問できる空気感は大事だと思う。仮にその質問が、教員の助けなしに学生自身で何とか出来そうなものであったとしても、その指針を示して学生自身にやらせるよう指示すれば良いのだし。↩
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marquee要素の利用は推奨されないという事も示していたので、まあ及第点か。しかし今日日、marquee要素を紹介する事自体、時代錯誤ではあるが。↩ - 変なリスクを背負いたくないので具体名の紹介は避ける。この逃避もまた迎合であり望ましくないが。。。↩
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CSSアニメーションで文字を動かすより、
marquee要素を使ってしまう方が短期的には簡単であるということも、その傾向に拍車をかける。↩ - 「歪」(いびつ)という文字を改めて見てみると「不正」で出来ている。本当に良く出来ていると思う。↩