kolmas.tech note

雑記と思索、偏った技術の覚え書き

先走る講演ハイ

先日の出張で、数年ぶりに英語講演をした。内容は伝わっていたようなので良しとするとして、一方でもう少しどうにかならなかったものかと感じるところでもある。

講演ハイ

研究者くずれをしていた頃は勿論、今の仕事においても、多くの聴衆を対象とした講演をする機会はそこそこある。ある程度は慣れているとは思うものの、正直に言って、講演する事が大好きという訳ではない。むしろ、講演を始める直前というのはとても嫌な時間である。酷く緊張し、しかしそれから逃れようもないというあの時間は、たまらなく嫌いである。舞台袖が無いような場面では、何をする訳でも無いのに演台に立って待っているという居た堪れなさもこれに加わる。

一方で、講演を始めると段々とテンションが上がってくる。私はこれを「講演ハイ」とか「プレゼンハイ」などと呼んでいる。講演はプレゼンに含まれるだろうが、プレゼンの方が幅広な概念であろう。あらゆるプレゼンでハイになる訳では無いので、「講演ハイ」の方が正確な表現1だろうか。講演を始めてさほど時間も経たないうちに、この講演ハイのモードに入る。

講演ハイになると、話したい事・話すべき事が矢継ぎ早に頭の中に浮かんできて、それをそのままに話すだけの状態となる。そこに最早緊張は存在せず、欲求の赴くままに話したい事をただ話している。講演資料2を作る際に、それぞれのページで何を話さなければならないかは考えながら作っているし、資料自体にもそれを想起できる内容を散りばめているので、「話したい事」が尽きる事もない。その点、他人が作った講演資料で話す場合には、事前に資料を流し見ておかないと講演ハイが途中で途切れたりする。

そうして講演ハイの状態でひたすら話し続け、一通り話し終えてしばらく後に講演ハイが抜けると、講演中には一切感じていなかった疲労感がまとめてやって来る。休憩を挟みながらではあるが一日中講演をするような機会も時々あって、それを終えた後などはもう何もする気がなくなる程に疲れ果てて3いる。講演ハイの間は、そういう脳内物質でも出ているに違いない。

語学力が置いていかれた時

ここ最近は日本語での講演をしているばかりであった。日本語の母語話者である私にとっては、講演ハイによる思考も概ねは日本語がその基盤にある。なので、思考に対してそれを言語として表出するための加工を少ししてやるだけで話せる。これは例えば、語に助詞を付けるとか、それを適切に並び替えて文を構成するとか、そういった事である。時々、この日本語能力が講演ハイの思考速度に追いつけなくなって、少し変な日本語を発してしまう4事もあるが。また時々、講演ハイの思考が非言語的になる事もあって、そのような場合も日本語での表出が少し引っかかる事がある。

母語である日本語ですら時々そんな事になるので、これが英語だったら結果は言わずもがなである。自分がその講演で何を話す必要があるのか英語で書き下せと言われたら、それは別に何の問題もなく出来る。そもそも英語の講演資料自体も自分で作っている。ただ、講演ハイの思考速度に対しては、私の英語力では全くついてこれない。時間制約が無い状態で英語を読み書き出来るかという事と、話すその場で即座に対応する英語を表出出来るかという事は全く別の要件であって、後者に求められる能力は正直なところ足りていない。ここではこれを、英語の「瞬発力」とでも呼ぶ事にする。講演では基本的に自分から話すばかりなので、表出しなければいけない言語量とその密度の観点から、講演ハイのみに頼って英語講演に無策で臨めば、求められる英語の瞬発力は下手をしたら会話や質疑応答をも上回る。

勿論これは、無策で臨めば、の話であって、後述するように事前の対策をしておく事で英語講演に求められる英語の瞬発力の度合いは格段に減じられる。現実的には、そのような事前対策ができないという点で、会話や質疑応答の方が求められる瞬発力は上であろう。冒頭に述べた先日の数年ぶりの英語講演も、それなりに事前準備してから臨んだので完全にしどろもどろになった訳では無い。ただそれでも、講演の最中に瞬発力頼みになってしまった場面が二回か三回かあり、そこで発話が少し詰まってしまうという反省点があったのである。

原稿が読めない

上述のような、語学力的瞬発力が足りない時の対策としてまず第一に考えられるのは、講演原稿を事前に用意しておいてそれを読むようにする事であろう。原稿を読むだけの講演というのは良くないと言われるし、実際聞いている立場としてもあまり良い印象は持たないが、発話が完全に詰まるよりはマシであるという見方は出来る。

この原稿を読むというのが私には出来ない。講演そのものに慣れていない頃には原稿を作って読もうとした事もあるが、講演中、自分が原稿のどこまでを読んだか分からなくなってしまうのである。日本語原稿であったとしても、であり、これは今でも実はそうである。考えるに、原稿を読むだけのスタイルで臨むと、講演ハイに入る事が出来ない。講演ハイに入る前の私というのは、前述の通り酷く緊張しており、集中力に欠ける。そのような状態で一面に文字が詰まった原稿を見ている最中、目線がブレてどこまで読んでいたのかを見失う、という経験が学生時代5に数度あった。原稿ばかり見ているな、という指摘は当時からあり、意図して原稿から目を上げて聴衆の方を向いたりもしてみた。それこそ、最早そうしたら最後、原稿の元の位置にシームレスに戻ってくる事など出来ない。

その数度の経験の末、原稿を読む事はもう無理だと悟った。そこで、言いたい事を想起させるキーとなる内容を全て講演資料に散りばめておく事にした。実際の講演の場では、それらキーを画面に表示された講演資料から目で拾ってきて、足りない言葉を頭の中で補間して話すようにした。当初は、話すべき事がほぼ全て言葉で書いてある文字だらけの講演資料になった。ただ、慣れてくるに従ってその文字分量は減らせるようになってきている。この補間能力の増大は、前述の講演ハイの状態にも通じている。

ただ、講演ハイの時は、この補間能力が少々制御不能になっているきらいもある。元々話すつもりがなかった事を補間したり、補間し損ねた話題が発生したのに後から気付いて付け加えたりする事がある。いずれも、文脈上おかしい補間をしている訳では無いので、説明内容が狂うという事はない。ただ、原則として発表時間というものは限られているのであって、それに対するネガティブな影響があるのは否定できない。

発表練習と講演ハイ

原稿はそもそも読めず、かつ語学力的瞬発力の不足のために講演ハイだけでは乗り切る事も出来ない英語講演にあっては、最早残された手段は上述の通り事前の対策、即ち入念に発表練習しておく事のみである。件の英語講演も、前日の夜や当日の朝、ホテルの部屋に一人篭って、小言でブツブツと発表内容を繰り返していた。発表練習は、勿論、人に聞いてもらって行う方がより高い効果を得られるだろうが、淀みなく発表するという事に関しては、このような一人発表練習でも一定程度の効果はあると思う。

まず、一人であっても実際に言葉を原稿無しで口に出してみる事で6、語学力的瞬発力の不足が身に染みて実感できる。原稿は、用意したところで本番ではどうせ読めないので、最初から用意しない。そうして危機感を覚えつつ、まずはゆっくり、話すべき文を頭で組み立てて、実際に口に出す。これを講演の冒頭から最後まで、何度か繰り返す。そうすると、実際にそのまま口に出せる表現が頭に染み付いてくる。本番の講演にて演台に立ち、講演ハイに入った時、その記憶が足りない語学力的瞬発力を助けてくれるのである。そうして、概ね問題なく講演を終える事が出来る。

ただ、それでも「概ね」に留まってしまうのが解決出来ていない課題である。上述の、制御を失った講演ハイがここに効いている。講演ハイが、一人発表練習の時には浮かんでいなかった事を私に話させようとするのだ。その内容は勿論、文脈上も問題なく、後から振り返っても、むしろ入れられるなら入れた方が良いものだった。しかし、それを英語で話し始めようとした時、最初の二言三言までは出て来るものの、途中で語学力的瞬発力が足りなくなって詰まってしまうのである。むしろ、最初の二言三言までは勢いで出てしまっているので、最早引き返せないという点でよりタチが悪い。何とか言いたいことに対応する表現を捻り出し、文を繋げて乗り切ったが、見栄えの悪い瞬間であっただろう。

講演ハイを飼い慣らせるか?

講演ハイ自体が悪いものだとは全く思っていない。私が講演をするにあたって、最も生き生きと話が出来ているのは講演ハイに入っている間である。とある会7で私の講演を聞いていただいた仕事上の知人曰く、最初は疲れていそう・元気がなさそうだったのが、だんだん火がついて元気になってきていた、とのこと。その日は確かに元々疲れが溜まっていたが、講演ハイになればそんな事は忘れて元気に講演出来る。8

大体、発表する話題について、話すべき事が勝手に頭に浮かぶ位には良く理解していて、尚且つそれを人に伝えたいという熱意をもって講演していたら、多かれ少なかれ講演ハイになるのは不可避であり、抑制出来るようなものではないと考える。その制御不能な講演ハイが語学力を置き去りにして暴走した時にだけ問題が生じるので、それだけちょっとコントロールしてやれれば良い筈。

とはいえ、何であれハイになっているというのは、感情の制御が外れている状態である訳で。そんな中で言いたい事・言うべき事・言う準備が出来ている事を区別・制御するのは訓練が要りそうな感じ[^prohibit]ではある。講演ハイであっても、言うべきでない事・言ってはいけない事、の区別は今でも出来ているので、訓練で何とかなる領域にはありそう。

余談 ー 瞬発力を鍛えれば良いのでは

ところで、講演ハイの思考速度に語学力的瞬発力が追いつけないのが問題であるので、語学力的瞬発力=英語の方を鍛える事で解決できるだろうという声が飛んできそうである。そちらの方向性についてはここまで言及していないが、それ自体は至極もっともであると思う。

ただ、日本語を母語とする私の、日本語に基づく講演ハイの高速思考に対して、後から鍛えた英語の表出速度が追いつけるとはとても思えない。これでも、ちょっとした英語での会話や討議くらいであれば差し支えなくこなせる程度の英語の瞬発力はあるつもりでいる。それでも、頭の中の日本語思考に追いつけている訳では無い。


  1. しかし「プレゼンハイ」の方が語感が良いように思う。
  2. 典型的にはPowerPointのスライド。
  3. ついでに、喉にも結構な負担がかかって。
  4. そしてすぐに気づいて修正する。
  5. その頃は、そもそも講演ハイに入ること自体まだ出来なかったが。
  6. というより、口に出してみようとして盛大に口ごもってしまう事で。
  7. 冒頭紹介した先日の海外出張とは別件。国内での日本語講演。
  8. そして先述の通り、ハイが抜けた後にまとめて疲れが来るが。