以前のエントリで次男三歳の夜泣きについて触れた。 blog.kolmas.tech ここ最近、この夜泣き傾向はかなり収まってきていた。3月でこれまでの保育園を卒園し、4月になって新しい幼稚園に年少で通いだした所、慣れない環境に置かれたためかここ数日再び夜泣きが発現しているが、3月中下旬はあまり夜泣きしていなかった。その頃も、時々深夜に起きたり、あるいは起こされたり1すると大泣きしていたが、それが毎日のように続いていた2月頃とは明らかに様子が異なっていた。
それと同時に、次男の言葉の使い方が随分と器用になってきたと感じる。特にそれを感じるのが、拒絶や否定の表現である。遅れてきたイヤイヤ期、という訳ではなさそうであるが。
正しい活用で拒否してくる
動詞を使う日本語の否定表現は、例えば英語等と比べると複雑なのではないかと思う。英語だったら、少なくとも自身が主語の現在形である限り、とりあえずnot付けておけば否定になる2が、日本語の否定表現には動詞の活用=未然形が必要である。日本語文法の話として、活用には動詞によって様々な種類があり、子供らが良く使うような動詞をいくつか挙げるだけでも例えば以下のようである。
- 「やる」→「やら(ない)」:五段活用
- 「見る」→「見(ない)」:上一段活用
- 「食べる」→「食べ(ない)」:下一段活用
- 「する」→「し(ない)」:サ行変格活用
こう書き出してみると、「しない」に関しては次男からは聞かない気がする3が、それ以外はどれも自然に次男の口から出てくる。ここに書いていない動詞についても、私が聞く限りにおいては、それらを否定表現に用いるときに正しく活用できているようである。さらに時折、我々家族が普段否定表現で使わない4動詞を用いた否定表現が次男から出てくることもあって、驚く所である。単に周囲の表現を真似しているだけではなく、規則性を見出しているのだろうか。勿論、保育園・幼稚園で聞いた言葉を使っているだけ、という可能性もあるが。
しかも未然形による否定表現だけでなく、連用形+「ません」の形で否定表現を作ってくることもよくある。上記例で言えば、即ち「やりません」「見ません」「食べません」等となる。これも意図して家族から教えた表現ではない。保育園・幼稚園で身につけてきたのかもしれないし、我々の電話口での言葉遣いを聞いていたのかもしれない。いずれにせよ、正しく動詞を活用してこれら否定表現を作って使えている。これを見ても、やはり言葉の規則性、しかも上述の通り比較的複雑なルールを、少なくとも一定程度は体得しているのではないかと思えてくる。そう思うと、変格活用である「しない」という表現が出にくいのも理解できる。
まぁそもそも自然言語の文法なんてものは、元々自然発生している言語の仕組みに規則性を見出し体系化するために後付けされたもの5に過ぎない。であるからして、その仕組みは人が自然に体得できて然るべきではある。ただここ最近の次男三歳の言語能力の急激な伸長を見て、人の脳はすごいなと思う所しきりである。これまでのエントリで何度か触れている自閉傾向長男の言語能力も伸長してきているが、次男と比べるとゆっくりしている。コンピュータ屋の端くれの視点からすると、正直、この長男の言語習得の様子の方がまだ納得できるくらいである。人の脳は、何故こうも勝手に色々なことを学んでいけるのだろう。
人のせいにしてくる? ー 状況の理解
若干話が逸れたが、次男の拒絶・否定の器用さの話題に戻って、先の話題の他にも器用さを感じた事として、自分のした事を別人がした風に答えてきたという事例がある。道義的には褒められた事ではないが、子供らしいと言えば子供らしい事ではあり、しかもこれは、自身の周りの社会を理解していないと出来ない事だろうと思う。
先日のエントリでも少し触れたが、半ば諦めてはいるものの、部屋を散らかされるのがどうにも駄目である。諦めてはいても思う所があるのには変わらず、その様を見るにつけ、つい「またこんなに散らかしてからに」等と呆れ声を発してしまう。先日、これを聞いた次男の笑いながら曰く、「〇〇ちゃんがやった」との事。ここで「〇〇ちゃん」は長男の愛称である。長男も次男も部屋を散らかすので、まあそうかと、報告をするようになってきたのかと思いながら聞いていた。しかし妻の曰く、その場に関しては実際に散らかしたのは次男であったとの事。それを聞いたら、散らかった部屋への苛立ちはたちまち霧消し、次男がそんな高度な事をするようになったのかという苦笑いに変化した。
次男がどこまで本気でこの発言をしたのかは分からない。少なくとも悪意はないだろう。妻が笑いながら「やったの●●ちゃんでしょー」と言ったら、次男も笑いながら「●●ちゃんがやった」と言った。ここで「●●ちゃん」は次男の愛称である。主語の考え方は、後述の「人に押し付ける」例からしても理解しているようであり、自分が言っている事の意味は分かっていそうである。ただ、言葉の意味が分かっていても、その文脈を捉える事にはまだ難しさがあるのかもしれない。この会話をしたその時に関しては、部屋を散らかしていたのは確かに次男であったろうが、普段は長男・次男のどちらも散らかす。その観点から答えれば、私の発言に対する次男の返答も間違ってはいない。私の発言はその時その場面のみに言及する意図であり、その意図は妻には伝わっていたものの、確かに字面に現れているわけではない。
どうあれ、言葉の器用さが増したな、と思うと同時に、自分に関わりのある人間や周囲の状況について、かなり正しく捉えられているのだな、と感じる事案であった。悪意で嘘をつくようだと困るが、そのような風でも無さそうではあり、今は純粋に発達を喜ぶ方向で捉えている。
人に押し付ける ー 主述の整合
他者を巻き込む表現でもう一つ面白いと感じているものは、その他者に押し付けるような形での嫌なものの拒絶である。これも割と最近出てきたもので、典型的な場面は食べたくない食べ物を出された時である。
長男も次男も食わず嫌いであり、新しいものは中々食べない。まず間違いなく自発的には食べないので、その類のものはまず大人が取って出してやる。これで食べれば儲けもの、更に味等が気に入れば続けて食べてくれる。一方、気に入らなかった場合は、それ以降は食べるのを拒否する。もしくは、見た目で気に入らないのか、最初の一口目の段階から拒否される場合もある。これらの場面における拒否の方法であるが、長男にしても次男にしてもよくあるパターンは、物理的に食卓から逃走するか、もしくは「食べない」と発言するか、である。本人が空腹でなくなってくると逃走率が上がる6ものの、「食べない」という表現は二人とも自然に出てくる。言葉で言えるのはとても良い事なので、後は逃走するのをやめて欲しい所である。
さて本題の次男、最近、上述の逃走と「食べない」に加えて、食べたくないものを出された時の反応に「パパが食べる」発言が出るようになった。これも初めて聞いた時は笑ってしまった。「パパが食べて」等のように要求の表現として完成してはいないが、明らかに私がそれを食べる事を要求している。そして本人は自分が食べたいものなら食べている。食べたくないものを私に押し付けたのだ。実際、私が食べたら満足気である。先にも触れたが、主語とそれに応じた述語の関係性が正しく確立しているのを感じる。この辺りが、長男はまだちょっと怪しい。
上記例だと主述の二語文だが、それだけでも表現の幅は案外と広いものだと思える。目的語を加えてSVO的になった三語文も話しているが、まずは主述がぴったり整合する事が大事なのだろうと感じる所であった。
言語発達の理論を知るべきか
上記全て、n=2である子供ら7の観測のみに基づく適当な発想である。より大規模な観測とそれに対する科学的手法による検討、の成果であるところの言語発達理論を勉強したら、それも面白そうに思える。そんな余裕があるのか、また勉強するにしても仕上がる頃にはその知識が不要になっていないか、という気はするが。
- 次男が外部要因で深夜に起こされる場面、というのは、大抵は三男が深夜に授乳を求めて泣く声による。それでも最近はほとんどの場合、起きずに寝ていてくれるが。尚、長男は基本的に一度寝ついたら、周りが泣こうが関せず朝まで寝ている。↩
- 一般動詞だったら助動詞do付けてdo notあるいはdon'tじゃないか、と言われそうだが、強調の意味合いで肯定文でもdo+一般動詞の形を取り得る事を考えれば、やはり否定の本質はnot付けるだけだろうと思う。↩
- 「する」→「しない」の意味合いは「やる」→「やらない」で概ね代替可能であり、今の所はそれで問題がないように思える。丁寧な表現として、将来的には当然身につけねばなるまいが。↩
- 肯定表現では使う。↩
- 私はそのように理解しているのだが、これは言語学の人に聞かれたら怒られるだろうか。↩
- そのくせ、再び食卓に戻って来て食べ始めたりする。それ以上もう食べそうにない時は、ごちそうさまを言わせるようにしている。↩
- 六ヶ月の三男はまだ喃語の段階なので数えない。↩