kolmas.tech note

雑記と思索、偏った技術の覚え書き

多義的静けさ

子供ら、特に自閉傾向長男に「静かにしてな」と言うとき、その意味に「小さな声で」である場合と「喋らないで」である場合、更には「大人しくしてて」である場合の三通りがある事に気付いた。尚、長男には最初の意味でしか伝わっていないと思われる。

音量調整

「小さな声で」の話。

好きなものを目にした時、苛立った時、もしくはそうでなくてもテンションが上がっている時、長男の声量は突然に上がり、それは脇にいる大人からしたらまさに「耳を劈く」かの勢いである。ほとんど叫んでいるような勢い。そうでもしないと聞こえないような騒がしい空間にいる訳でもない1のだが。何なら、そこまでテンションが上がっている訳でも無いのに、声量が不必要に大きい時も多々ある。大人の耳的に辛い事がそこそこあり、その時は「静かにしてな」と長男に言っている。

その意味での「静かにしてな」は、冒頭でも触れたが、長男にも一応伝わる。それを受けた長男の声量は、一旦、ひそひそ声程度に小さくなる。ただし、その声量で一言を話し終えた後、その次の一言は元の大きな声量に戻っている。音量調整が出来ると言えば出来るのだが、それが維持されない。在宅時においてすら、困りこそしないものの、もう少し静かにしていてくれと思う時はある。そして公共空間においては明確に困る。長男を通わせている療育施設の一つが遠地にあり、隔週で片道二時間弱の電車に乗って連れて行くのだが、これがまあ気を遣う。何事も無ければ長男も静かに座って車窓を眺めているのだが、電車好きの長男、別の電車がすれ違うたびにすれ違った電車の名前2を口にする。テンションが上がってくるにつれて大声になっていく。私自身普段は電車通勤の身であり、朝の電車での大声というのはやめさせねばならないと思って毎回注意する。しかし、上述の通り一度は小さな声になるものの、すぐに元に戻ってしまう。

小さな声で話す事を継続して欲しいのだが、何かを継続している事、を強化するのは難しい。増やしたい行動に対して即座に好子を出して強化するのがABA的手法の基本である。しかし、「継続している事」を強化しようと考えると、そもそも対象の行動自体が長い。行動が完了するタイミングも分かりづらい。そこで一般的には、本人が理解できるタイマーなどを用意して一定の区切りを明示し、その期間内で継続出来ていれば好子を出す、といった手法が取られるそうである。これは分かりやすい。ただ、本当に身につけて欲しい事は、時限で静かにしているというよりも、周囲の状況、例えば大人が話し込んでるとか、電車に乗っているとか、に合わせて静かにしているという事である。それは恐らく発展的段階なのだろうが、どのようにしてそう発展していくのかが分からない。

割り込んで喋る

「喋らないで」の話。ただ、これに関しては、コミニュケーション能力発達の観点からは阻害すべきではない事ではないかと迷う節もある。

上述の「隔週で片道二時間弱の電車に乗って連れて行く」長男の療育では、長男と先生のセッションが終わった後で、先生から我々へのフィードバックを貰ったり、諸々のことを相談させて頂いたりする時間がある。とても有難い事である。先日などは、三男が産まれて以来初めて、妻もほぼ一年ぶり3にその場にいた。諸々の事に真摯に答えてもらえるので、妻も信頼している先生である。

で、そのフィードバック・相談をしている所に、当の長男が割り込んでくるのである。セッション終了後のお疲れ様的意味も込めておやつを食べさせたり、もしくはその辺にある玩具等で遊んでいる間は良いのだが、おやつが無くなったり、もしくは玩具に飽きたりすると、大人らの会話に割り込んでくる。無論、こちらの会話に即した割り込みなどではない。大人らが座って喋っているソファに突っ込んできたり、もしくは絵本や玩具を持って話しかけてきたり4する。突っ込んでくるのは、もちろん危ない事をしないように気を遣うところではあるが、それでもまだ大人間の会話自体は出来る。ただ、話しかけてこられると辛い。内容としてはかなり真剣な話をして、かつメモまで取っているのであり、こちら5には同時に別の会話を捌けるだけの脳の処理能力が無い。そこで、ここでも「静かにしてな」と長男に伝えるのである。ただし上述の通り「喋らないで」ではなく「小さな声で」の意味でしか伝わっていないが。

ただ、長男が話しかけてきてくれるのを無下にするのは如何なものかとも思ってはいる。少し前までは、日本語でも英語でもない謎言語6で一人喋っているという場面が頻繁にあったので、これは如何なものかと思っていたのだが、最近はそのような事もあまり無い。しかも、一人で喋っているだけでなく、明らかに大人の反応を求めている。これは明らかに進歩であるとは、件の療育の先生にもその場で言われた。このように長男から自発的に言語コミニュケーションを取ろうとする事それ自体はとても良い事であって、消去してしまってはならない。その点では、長男が話しかけてきた機会はしっかり拾ってやりたい。

ただ如何せん、どんな場面でも構わず同じ調子なのは勘弁してくれ、と思う事はある。更に言えば、長男が話しかけてくる内容はまだまだバリエーションに乏しく、同じ問い掛けを何度も何度もされていると流石に少々堪える。こちらに対話の余力がある時なら、その問い掛けから新しい問答に発展するように誘導する受け答えも考えて出来るのだが、例えば上述のように別件で込み入っている時には、その余力は無い。これも結局は、こちらの様子・状況をちょっとは気にして欲しいという思いに至る。

飽きても座っていられるか

「大人しくしてて」の話。上述の「喋らないで」の話に通じるところもある。

先日法事があり、初めて子供らを連れて行った。法事ではあるが、近しい身内だけで執り行う三十三回忌であり、さしてフォーマルである訳では無い。とはいえ、それでも一応は法事ではあり、執り行っている間は椅子に座って喋らずにいて欲しい。これもまた私から子供らに「静かにしてな」と発言する場面の実例である。とはいえ、長男にしても次男にしても、法事の間ずっと椅子に一人で直接座って大人しくしていられる、などという事は最初から期待していない。二人とも、それぞれ一人ずつ、大人の膝に乗せて座らせていた7。しばらくの間はそれで良かった。墓参りには以前も連れてきた事があったが、お堂に入れたのは初めてである。見慣れない環境であるために静かだったのかもしれない。私の膝の上には長男を乗せていたが、お堂の様子を物珍しそうに見ていた。

焼香のために立ち上がって以降がまずかった。私が焼香している間は大人しくさせていたが、その後長男にも試しにやらせようとしてみた所、嫌がった。それを嫌がるのは、そもそも試しであった事だし、可能性の一つとして想定内ではあった。ただ、それから椅子に戻って以降、大人しく座っていなかった。膝の上で暴れてしまい、しばらくは抑えていたものの最終的には乗せていられなくなった。その頃には次男三歳も我慢出来なくなっており、妻に見てもらって、二人してお堂の隅で跳ね回っていた。

そうなってしまうのも道理ではある。故人は私の祖父であり、私自身すらほぼ記憶がない。子供らにしたら言わずもがなであり、その場に何故いなければならないかなど分かるわけもない。さらには、家にいる時には何かに飽きたらさっさと別の場所に行ってしまえる、という事にも釣り合わない。ただ、そうは言っても、次男はともかく長男は来年度就学である。学区の小学校の支援学級か、もしくは特別支援学校か、を決めかねている段階ではあるが、いずれにせよ就学なのである。就学となれば、時間中座っていて何らか活動するということには慣れさせねばならない。

座っていなければならないという事を理解して座っているか、そうでなかったとしても、周囲が座っているのだからそれに合わせて座っているか。どちらにせよ、周囲の状況を理解・判断してそれに応じた行動をする、という点で、最終的には先の二点と同様の能力を求めるものになる。先述の法事の例は、子供らにとっては後者=周囲に合わせるという構図にしかなり得ず、また途中で立ち上がる機会=焼香があるという点でも分かりづらかっただろうとは思われるが。長男、最近の集団療育の中では、周囲の子供らが動いているのに合わせて動く、という事が出始めているそうではあり、もうちょっと伸びてくれれば、という所。

状況理解と対処

ここまで書いてくると、私が子供らに「静かにしてな」と伝える時、それは確かに「小さな声で」「喋らないで」「大人しくしてて」の三種類の具体的な意味を持つ多義的な発言ではあるのだが、その根底まで見ていくと「その場の状況に合わせてくれ」という共通の文脈から派生していた事が分かる。状況理解・状況対処と呼ばれる課題で、そう言えば昨年秋の長男の発達検査において、抽象概念理解と合わせて苦手な部類と言われたものである。今は、その頃と比べたらまた伸びているようにも感じるが、果たして。


  1. そのような空間に長男を連れていく事はほぼ無い。
  2. 路線名。
  3. 遠地でもしもの事があると厄介なので、三男の妊娠後期頃から控えてもらっていた。ここ最近三男がそれなりの期間保育園に居られるようになったので再開。
  4. 上記で言うところの大音量で。
  5. 少なくとも、私。
  6. 多分、子供任せになってしまっていたYouTubeのせい。今は止めさせている。動画コンテンツは親の制御が必要だろう。
  7. 尚、三男は抱っこ紐である。