ラーメンズの「日本語学校イタリア篇」には子供の気を引き笑わせる話術のエッセンスが多分に含まれている。2000年代前半1の日本ネット文化を知る人なら直ぐに思い出せるであろう、「千葉!滋賀!佐賀!」のアレ2の事である。知らない人は適当にググりましょう。3
長男=自閉症5歳についても次男=定型発達2歳半についても、彼等を話術で笑わせるのはそこそこ出来るつもりである。この笑わせる話し方が、「日本語学校イタリア篇」的要素を含んでいる事に気付いた。むしろ、アレから影響を受けた結果として、今の私が彼等を笑わせる時の話し方が形成されている、のかもしれない。
予想外の抑揚
冒頭に早速現れる茨城とかのアレである。見た事がある人であれば、ここで言いたい事は伝わるかと思う。
平坦な口調で話している所に急に口調を大きく変化させると、子供の注目を引き、笑わせる事が出来る。その変化は、必ずしも声を張り上げるような類のものでなくても良い。「日本語学校イタリア篇」における愛知・高知・愛媛などのように、声を張り上げて抑揚を付けているのではなく、突然変わった声の出し方をするのも有効である。声量だけでなく、声の高さ、速さ、その他様々な声色の違い、を用いて、強調したい所に他との差を付ける。重要なのはコントラストの大きさである。出来るだけ分かりやすい変化を付けて、かつ急峻に切り替える。
そこまで極端にやらなくても、話中のうち重要なポイントを選択的に伝える効果は得られるように思う。実際に伝わっているかは最終的には彼等に聞いてみないと分からないので、確証を取れない事も多いが、感触としては割と伝わっている印象。遊びの中で話すなら、ラーメンズよろしく極端目に抑揚を付けてやればより喜ぶ。長男の療育においては、如何にやる気を出させるかという問題がある訳だが、その為にはまず気を引く事からで、その効果は一定程度ある4ように思う。
尚、常に変な発声をするという訳ではなく、重要なのはあくまでもコントラストである。その差分が子供の気を引き笑わせるのであると思われ、常に変な声を出していたら恐らく埋もれてしまう。やっている側が無意味に変な人になるだけである。
基本はゆっくり通る声
その点、「日本語学校イタリア篇」に戻ると、最初はゆっくりとした穏やかな発声から始まる。勿論そこにも独特なアクセントによる脚色が含まれているが、日本語学校という場面設定が事前に共有されているので、そのステレオタイプの範疇5として認識される程度であろう。そこから突然に外れるコントラストによって、上述の茨城等が笑いを誘う。
子供に話をする時にも、ゆっくり、よく通る声で話すのが基本であろう。長男にしても次男にしても、最初に彼等を「話を聞くモード」に入れる事が出来れば、後はゆっくり丁寧に話せばある程度の指示は聞いてくれる。私自身は、元々が小声早口の人間なので、普段はしない話し方ではある。とはいえ、以前は大学講師をしていた事もあるし、今でも人に何かを説明する機会の多い仕事ではあるので、その時の話し方が応用できる。また、その中に上述のコントラストを紛れ込ませる事で、特に強調したい事を伝えたり、笑わせたりも出来る。問題は、普段しない話し方である故に喉への負担が大きい事である。コントラストを出す話し方と合わせて、ずっと続けていると喉が痛くなってくる。これは如何ともし難い。
ところで、話題の本筋とは関係がないが、ここで言う「話を聞くモード」に入れる事については長男に課題があって、通っている療育施設にて、場面を問わず名前を呼ばれた時に反応する、というところの定着に取り組んで頂いている。呼名反応と言うらしい。現状では、声をかけた時に「話を聞くモード」に入る場合と入らない場合が混ざっている。先の事を思えば、どんな時でも声をかけられたら反応できなくてはならない。一旦は、大人が声をかけた時に何も反応しないのをそのままにしてはならない6という事で、上述のコントラスト付け話法も使って気を引くなどしている。
同音反復
最早言わずもがな、ここは千葉・滋賀・佐賀、あの強烈に耳に残るフレーズの話である。
エントリの表題にも挙げたこのフレーズが強く印象に残るのは、明らかに、あの小学生卒業スピーチのフォーマット中に突然現れる連呼によるものであろう。この連呼は、周辺の卒業スピーチフォーマットとは明らかに異なる声調で行われている。その点で上述のコントラストの効果が得られ、しかもその勢いで何度も繰り返される事で、より頭の中に刻み込まれていく。さらには、千葉・滋賀・佐賀の初出は実はこの連呼の部分ではなく、もっと前である。それが唐突に、強いコントラストを伴って再出する事が、聴衆の笑いを呼ぶ。その点では、最初に笑いを呼び、そして最後の最後になって再出する上述の茨城も、共通の構造を持っている。
このような同音反復もまた、子供に対して何か特定の言葉を印象付けるのに有効であるように思う。普段の会話の中で同じ言葉をひたすら連呼する場面というのはなかなか無いが、時々現れる同じ言葉であるだけでも、少しずつ印象付けられていくようである。抑揚を付けて同じ言葉を連呼しようものなら、面白がって一緒に連呼したりもする。これは、言葉を印象付けるという事だけでなく、特定の事について大人と一緒に騒ぐという点でも良いのではないかと思える。特に自閉症の長男につき、人と一緒に何かをするという事を増やしていく方向性を指向すべきという話は療育の中で多々ある。その遊びネタの一環として組み入れられそうではある。
少し話は逸れるが、ABAの文脈における強化のための好子7、中でも条件性好子の話題にも近しいものを感じる。ABAの本はまだ読んでいる途中であるが、曰く、褒め言葉などを条件性好子として扱う場合、その言葉は行動を強化する場面以外では使わないようにするべきである。そうなると必然的に、強化に使うための褒め言葉は一定になり8、反復される事になるだろう。恐らくそれは、強化の枠組みを構造化して単純で分かりやすいものにするという、以前のエントリの話題にも通ずる。
奇行の積極活用
ラーメンズ「日本語学校イタリア篇」の話法を応用する事は、何の前提も共有していない人から見たら奇行・奇声の類であろう。しかしそれは、お笑いの場面だけでなく、上述のように子供との関わり合いにおいても有効であると考える。子供達が笑ってくれるなら、その程度の奇行に走る事を押し留めるような羞恥心など、家の中では無に等しい。
外出中は若干躊躇うが。
- 当時中学生。信じ難い若さである。光陰矢の如しとは正にこの事。↩
- その頃はFlash動画としてしか知らなかった。懐かしのFlash文化である。dic.pixiv.net↩
- 諸々の配慮から直接の紹介は避ける。↩
- ただし悩ましいのは、その引いた気を持続させる事に対する寄与が恐らくないので、そこには別のアプローチを要する点。↩
- 実際の日本語学校の事は知らないので何とも言い難いが。↩
- 大人に声をかけられても気にしなくて良い、ということを学習されると良くないため。↩
- 書籍や人によっては「強化子」とも。↩
- 日常会話の中での褒め言葉を否定するものではない。そしてそれは多様である。行動強化のための条件性好子となった言葉については強化する場面以外に使わない、という話である。↩