私の中でプロンプトという言葉が指すものは、私がコンピュータに触れ始めて以来これまでずっと、CUI環境でユーザのコマンド入力を促すアレの事であった。

- CUI環境のプロンプトは、ユーザのコマンド入力を促す。
- 生成AIのプロンプトは、生成AIに回答を促す指示である。
- 療育のプロンプトは、児の望ましい行動を促すものである。
今の仕事の中で私が触れる「プロンプト」という言葉は、全て生成AIの文脈におけるプロンプトである。一方で、家庭で使う「プロンプト」という言葉は全て療育の文脈におけるプロンプトである。仕事でも家庭でも、CUI環境を人に説明するような事がない1ので、その文脈でのプロンプトという言葉はここ数年使っていないが、上掲の通り私にとって最も馴染みのある「プロンプト」はそれである。
そのような状況で、ただ単に「プロンプト」と言われるだけでその背景にある暗黙の文脈に即して適切なプロンプトの事を思い浮かべられる事を考えるに、まだ人間の脳も捨てたものではないかな、という気にはなる。Googleで「プロンプト」と検索した時に表示されるのは、上述の通り生成AIのプロンプトの事ばかりである。「プロンプト CUI」や「プロンプト 療育」などと検索してやれば、それぞれの文脈におけるプロンプトの事も調べられるが、これは明示的に文脈を与えてやっているといえる。ChatGPTに「プロンプトとは何ですか。」と聞いてみたら、生成AI文脈のものとCUI文脈のものについては説明してくれたが、療育文脈のものには触れられなかった。療育のプロンプトについて説明させるには、その文脈を明示的に与えてやらねばならなかった。
などという事を考えていて、そこから更に、この「暗黙の文脈共有・文脈理解」というものが、恐らく長男のような自閉症児には難しいと言われているのだな、という事に思い至った。これは、藤居氏の一般化障害仮説の本を読んだ時に、かの本で主張されていた非線形性への対応の難しさに通ずる。暗黙の文脈理解というのは、基本的に非線形分離課題であろう。上掲の私にとっての「プロンプト」の文脈は、たまたま仕事と家庭で明確に切れていて線形分離可能なのだが、実際にはそのように明確に分離できる文脈は少ない。
だからどうすべきか、という所までは思い至っていないが、雑記として残しておく。
- 自らは使えども。↩